歴史時代作家クラブ公式ブログ

現在活躍中の歴史時代作家が多数所属する文学団体です。時代文庫活性化を目指し、各社から出ている時代小説文庫等の紹介もします。初めにこちらをお読みください。→http://rekishijidaisakkaclub.hatenablog.com/entry/2014/08/01/105546

末國善己さん新刊

会員で以前歴時クラブ賞選考委員を務められておりました末國善己さん新刊です。

Amazonより転載:

文豪の独創的な表現が想像力をかきたてる!
10人の文豪が描く「永遠のエロス」

性愛を題材にした文学の歴史は古く、弾圧が厳しい時代をも乗り越え、現代に至っている。
本作は川端康成太宰治坂口安吾など、
近代文学の流れを作った10人の文豪によるエロティカル小説集。
少女愛フェティシズム、人妻、同性愛、スカトロジーなど多彩な作品をラインナップ。
視覚を重んじる現代エロスとは異なり、五感を刺激する名作集だ!

 

 読者の皆様、よろしくお願い致します。

書評『白村江の戦い』

書   名 『白村江の戦い』             
著   者  三田誠広
発   売  河出書房新社
発行年月日  2017年7月30日
定   価  本体2100円(税別)

 

白村江の戦い

白村江の戦い

 

 

 白村江(はくすきのえ)の戦いとは韓国忠清南道の錦江の河口の白村江で、日本・百済(くだら)VS唐・新羅(しらぎ)が朝鮮半島の覇権をかけて、天智2年(663)8月27日・28日の両日に戦われた決戦である。日本は唐・新羅連合軍の前に大敗を喫した。
 本書は白村江の戦いは何のための戦争で、その結果、日本に何をもたらしたかをテーマにしつつ、副題に「天智天皇の野望」とあるように、天智天皇(中大兄(なかのおおえ)皇子)の人間像に迫った歴史小説である。
 当時の日本・倭国冊封を迫る唐に対して、唐に隷属するのか、戦って独立を守るのかの選択の末、百済を救援すべく、本格的な軍事介入に邁進している。
 何のための戦争かの問いに、本書では、皇太子の立場にある中大兄に、「負けるために戦うのだ」と言わしめている。国の統一を目指す中大兄はこの度の戦は国を統一する千載一遇の好機ととらえ、あえて戦乱を求めたとする。阿倍比羅夫(あべのひらふ)は同時代の蝦夷征伐に武功のあった武人だが、「後将軍」として出陣する際に、「この戦、勝つ必要ない。最後尾で、最前線に出ず戦況を見守ればよい」と中大兄と訓示され、「負けることを承知で戦い、最初から逃げるために後陣に控える戦いなど聞いたことがない」と気色ばむシーンが象徴的である。

 物語のスタートは中大兄と中臣鎌子(のちの藤原鎌足)の出会いからはじまる。古代国家を画期的に変貌させた二人の邂逅シーンを先ず作家は配置している。
 登場人物のキャラクターには幅を持たせたと作家が自負するように、人物は異彩を放ち、時に嘆息、時に唖然とするほどに独創的なアイデアに満ちている。
 大化の改新白村江の戦い壬申の乱という“日本誕生”三大事件に関わった人物である中大兄皇子皇位継承の局面に何度も立ちながら、なぜ即位しなかったかのは、日本古代史上最大の謎であるが、これにも作家は一つの回答を与えている。

 中大兄は敵対者の存在を許さず、異母兄古人(ふるひと)大兄(おおえ)皇子、従弟有馬(ありま)皇子、自分の妃の父である蘇我倉山田石川麻呂などを、政治のためなら、平気で粛清することにより、皇極、孝徳、斉明朝の三代にわたり政務を独裁した猜疑深く冷徹な策謀家、非情の人として描かれるのが通例であるが、作家が描く中大兄は倭国の統一を果たして思い残すことはないと己の生き方を回顧する為政者である。 
 中臣鎌子(藤原鎌足)はいうまでもなく、日本の古代から近世に至るまで日本政治史上に勢力を保持した名族・藤原氏の祖となった人物である。「日本書紀」には「体も大きくたくましかった」とあるが、本書では、「背丈は少年と見紛う侏儒(ひきひと)」で、中大兄に「侏儒(ひきひと)の夢は自分の夢でもあった」と言わしめる。

 皇極4年(645)の6月12日のクーデターで、「日本書紀」はこのとき、鎌足の命を受けた俳優(わざおぎ)が蘇我入鹿(そがのいるか)の剣を奪ったと伝えるが、本書では鎌足その人が俳優で、その出自は中臣氏といった古来の地主的な豪族の出ではなく、帰化人系であるとする。鎌足が俳優であり帰化人系であるとの造形は刺激的である。
 大海人(おおあま)皇子と兄の中大兄皇子はともに舒明帝の皇子で、皇極(斉明)を母とする同母の兄弟である、とするのが通説であるが、本書では、「大海人皇子は世間では弟とされているが、6歳年長の異父兄で、大海人本人は自分が兄と思っている。独裁者であるはずの中大兄が唯一苦手としていた」とする。
 大海人の妃で後の持統天皇である鵜野讃(うののさら)良(ら)皇女の人物造形も見逃せない。中大兄を父に、蘇我倉山田石川麻呂の娘越智媛(おちのいらつめ)を母としてうまれた彼女は母方の祖父の一族を父中大兄により滅ぼされたために、父を怨む。この娘が自分を滅ぼすことになるのかと中大兄がおぞけるシーン、「あの男(=天智)を殺しなさい」と夫の大海人皇子に告げるシーンは読みどころである。古代史最大の戦闘たる壬申の乱への予兆が天智存命中にすでに醸成されているのだから。 

 鎌足や大海人の存在の同等あるいはそれ以上に中大兄の生涯に欠かせない女性がいる。
 額田(ぬかだの)女王(おおきみ)は若い時、中大兄皇子大海人皇子の兄弟に愛された美貌の宮廷歌人としてあまりにも名高いが、実在の彼女は謎の女、生没年不詳、鏡王の女という以外不明。生没年不詳は日本の古代の女性の共通のもので額田に限ったことではないが、額田の宮廷における公的立場さえ明らかでない。本書では、加羅国の王族の生まれで、推古帝から皇極帝に託された神宿る巫女とされる。
 また、額田女王鎌足はともに加羅の出身で、同じ船で渡来した幼馴染みであるとする。鎌足には、不比(ひふ)等(と)のほかに、定恵(じょうえ)という長男があったが、実父は鎌足ではなく、孝徳帝であるという皇胤説がある。本書では、これに加え、中大兄の子を孕んだ額田を譲り受けた鎌足はその子を我が子として育てた。つまり不比等は中大兄の落胤としている。とすれば、名族藤原氏は天智帝系の子孫ということになるではないか。
 間人(はしひと)皇女(のひめみこ)は中大兄の「同母(いろ)妹(も)」(実の妹)だが、間人(はしひと)にとっての「わが背子」は中大兄であったという。古代人特有の近親結婚のありようを理解するとしても、同母兄妹の近親相姦は古代においても人倫(ひとのみち)に外れた行為であった。孝徳帝即位に際して大妃(おおきさき)(皇后)として中大兄は間人(はしひと)を立てるが、本書では、間人(はしひと)は後宮に入らず、同母の兄と公然と夫婦のように同居しており、やがて中大兄の策略で謀殺される孝徳帝の長男・有間皇子が、「天道に叛いて、畜生道に堕ちる」と二人を公然と面罵するシーンがある。

 皇族の女には霊力が宿り、未来が見える、とされていた。軍事に支えられた権力ではなく、巫女が受ける神託によって国を統べる。そうでなければ国は収まらなかった。中大兄が大海人の妃で母の女帝の側近を努めている額田女王を我がものとしたのは額田が神宿る巫女であったからであり、中大兄が終生、間人を手放さなかったのは、彼女が未来を予言する巫女として霊能を発揮していたからだと物語られるのには説得力がある。祭祀を重要視した古代社会において、古代の人々が神を信じ神霊に祟られて生きていた。7世紀とはそのような歴史空間であったことが理解できる。

 同じく白村江の戦を題材にした歴史小説の最近の成果に、荒山徹の『白村江』(PHP研究所 2017年1月刊)がある。その後半部が人質として倭国に派遣され、その生涯の大半を異郷である倭国で過ごし、故国百済が滅亡した後に、百済へ帰国し再興をはかった余豊璋(よほうしょう)があたかも主人公の如く活写されているように、荒山徹の『白村江』が朝鮮半島の国情の動きを丹念かつドラマチックに追い、東アジアが激動の時代だった関係諸国の国内外情勢があたかも眼前の情景のように活写しているのに対し、三田誠広の本作は倭国王家(皇室)の内紛、皇位継承をめぐる骨肉の争いなど複雑な人間関係を内に蔵する中に、白村江を描いている。両書からともに有為転変の人間劇の愛憎悲哀、登場人物の息遣いさえ聞こえてくることに読者は息を呑むことになろう。両書を読み比べ、互いの書かざる史実を補うことは歴史小説のひとつの読み方であろう。
      (平成29年8月11日  雨宮由希夫 記)

沖田正午さん新刊

会員・沖田正午さん新刊です。

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生きがい 戯作者南風 余命つづり (角川文庫)

生きがい 戯作者南風 余命つづり (角川文庫)

 

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書評『義経号、北溟を疾る』

書名『義経号、北溟を疾る』             
著者 辻 真先
発売 徳間書店
発行年月日  2017年6月15日
定価  本体800円+税

 

義経号、北溟を疾る (徳間文庫)

義経号、北溟を疾る (徳間文庫)

 

 

 開拓使時代に、明治天皇の北海道巡幸があった。この行幸は、明治5年(1872)に始まった「北海道経営10カ年計画」が明治15年(1882)で修了しようとしていたおり、その前に北海道開拓の状況を是非ご覧に入れたいという北海道大開拓使(開拓長官)黒田(くろだ)清隆(きよたか)の要請が実現し、北海道はじめてのお召し列車が走ったものであるが、本書はこの史実を踏まえた、謎解きあり、活劇ありの書下し長篇歴史冒険ミステリーである。

 明治14年(1881)、舞台は札幌。その年7月には時計塔が改築され、取り付けられた自鳴鐘が農学校構内や市中の人々に”標準時”を知らせるようになったばかりである。開拓使時代末期のビックニュースといえば、幌内鉄道の開通である。北海道初の鉄道である幌内鉄道は手宮(てみや)~幌内間90キロの官営鉄道で、前年11月28日、手宮~札幌間が開業。札幌の軌条は北六条通りの路上に敷かれていて、汽車はまだ粗末な石置き屋根の連なりであった札幌の市街のど真ん中を走った。
 物語は、明治14年(1881)のある日、かつての新撰組三番隊長・斎藤一(さいとうはじめ)、今は警視庁に奉職する藤田五郎が警視廳大警視川路利(とし)良(よし)より北海道大開拓使黒田清隆にまつわるある探索を依頼されるところから、はじまる。藤田は、清水の次郎長の子分で侠客の法(ほう)印大五郎(いんだいごろう)とともに、札幌に向かう。

 明治天皇が8月30日、アメリカから輸入された蒸気機関車義経号が引くお召し列車に乗る予定だが、黒田清隆肝煎りのこの一大イベントを妨害しようとする者がいるという情報の真実を探ることが、藤田五郎と法印大五郎の渡道の目的である。
 二人が目指したのは札幌西隣琴似(ことに)原野の屯田兵村。屯田兵制は明治7年(1874)、北方防備、開墾開拓と士族の救済を目的として設けられたもので、屯田兵の多くはかつての東北諸藩の武士たちであったが、旧幕時代、粋で鳴らした八丁堀同心も食えなくなった窮迫士族として屯田兵を志願し、ひとつの屯田兵村を形成していた。その屯田兵村で、元同心千代木市之進の愛妻信(のぶ)恵(え)が、黒田に犯された末、首吊り死体として発見されるという凄惨な事件が発生した。酒乱で好色の黒田は、明治11年(1878)3月28日夜、泥酔して東京麻布の自邸に帰宅した際、妻の清(せい)を切り殺す(蹴り殺すとも)惨劇を引き起こしているが、元八丁堀同心の妻の殺害はこの史実たるスキャンダルを踏まえて造形されたものである。それはともかく、お召し列車運行までの限られた時間内に、一介の剣士と侠客は、北海道の専制君主を相手に、どんな方法を取れば、真相を確かめることができるのか、読者の興味はここに集約される。
 誰が無実の黒田を陥れようとし、列車妨害を画策しているのか、二人は先ずそれを探るのが、やがて、元八丁堀同心の妻の密室殺人事件はミステリーでいうところの「雪の密室」トリックであること、また、黒田に恨みを抱く同心たちの狙いはお召列車を破壊することではなく、8月30日に予定された札幌着を決定的に遅れさせ、日本の元首たる明治天皇が欧米列強の外交官を席巻する目的の豊平館での晩餐会を台無しにすることで黒田に赤恥をかかせ、その政治生命を絶つ事にあることが判明してくる。

 主役、脇役を問わず、実在か架空かを問わず、登場人物の配置が絶妙である。 <明治もの>時代小説ではおなじみのキャラクターになった感のある斎藤一こと藤田五郎の存在感はこの物語の主役であるにふさわしい。もと新撰組探索方にして三番隊組長。警視庁抜刀隊として世に名高い田原坂の戦いを戦った。西南戦争は藤田にとって“朝敵”の汚名をそそぎ、会津戦争の借りを返せる千載一遇の好機だった。会津落城後、榎本武揚(えのもとたけあき)の艦船で蝦夷地に渡った土方(ひじかた)歳(とし)三(ぞう)と違って、斎藤が会津にとどまり、斗(と)南(なみ)では松の皮さえかじって生き延びたのは、斎藤がすでに会津藩に仕官し会津藩の諜報の一翼を担っていたからであるとする有力な説があるが、本書ではまさに間諜の玄人としての活躍が見どころとなっている。
 黒田清隆西郷隆盛大久保利通亡き後の薩摩閥を背負う人物だが、1881年開拓使官有物払い下げ問題を大隈重信により非難され開拓長官を辞任する。本書では豪快で度量の大きな好漢で名実ともに北海道の専制君主として描かれている。
 藤田の仇役でいわば容疑者となる四人の元八丁堀同心、義経号を動かす洋行帰りの御室兄弟、それにヒロイン二人、黒田に殺害されたと目される元同心の妻の妹・春乃と、土方歳三ゆかりのアイヌの美少女・メホロ。彼彼女らはいずれも架空の人物ながら、この物語のなかで実在の如く息づいている。

 密室殺人の真相が明かされるシーンもさることながら、本作のクライマックスというべきお召し列車を巡る攻防戦の最終局面で、二人の戦士、町方同心捕物出役時の装束に身を包んだ元八丁堀同心の市之進と新撰組最強の剣客・藤田が、明治の「文明開化」という新しい時代の象徴とも言える鉄道を挟んで対峙する構図は圧巻である。ふたりの戦士がかつては共に幕臣であったことに思いを致すとき、読者はそこに歴史の非情、皮肉を感じるであろう。北辺の地ゆえにこそ幕末明治史の縮図がみてとれる。巧みな物語構想力というべきである。

 作家の辻真先は1932年生まれ、名古屋市出身。日本のアニメ・特撮脚本家、推理冒険作家、漫画原作者、旅行評論家。1981年「アリスの国の殺人」で第35回日本推理作家協会賞受賞。2009年本格ミステリー大賞受賞。TV創生期から数々の名作を送り出してきた脚本家であるとともに、ミステリーを中心に活躍してきた小説家でもある。
      (平成29年7月22日 雨宮由希夫 記) 

書評『大富豪同心 闇の奉行』

書名『大富豪同心 闇の奉行』
著者 幡 大介
発売 双葉社
発行年月日  2017年7月16日 
定価  ¥611E

 

闇の奉行-大富豪同心(22) (双葉文庫)

闇の奉行-大富豪同心(22) (双葉文庫)

 

 


 八巻卯之吉の祖父・三国屋徳右衛門は江戸一番の札差、両替商で、しかも日本一の悪徳高利貸しで、筆頭老中の本多出雲守とは持ちつ持たれる関係、昵懇の豪商である。孫可愛さのあまりに三国屋は出雲守に賂を握らせて卯之吉を同心にしてしまう常識はずれでもある。「捕物もの」時代小説の主人公として、卯之吉ほど不可思議なキャラクターはないであろう。
 卯之吉は時代小説にしばしば登場するヒーロー的な同心でもなければ、自らの意志と正義を敢然と貫く同心でもない。世評では「南町の辣腕同心」の卯之吉だが、三国屋の放蕩息子が放蕩遊びの延長で南町の同心を努めているにすぎない。にもかかわらず、いつもの勘違いが発生して、難事件を解決し(難事件が解決され)てしまう。シリーズ累計63万部を突破したとのことだが、読者はそこがたまらなく面白いのだろう。

「大富豪同心」シリーズは2010年1月にスタートした。第一巻の冒頭で「時は安永、十代将軍家治の御世。梅雨明け間近、江戸は日本橋室町を24歳の卯之吉が歩いている」。240年前の日本橋界隈を、梅雨明け間近の鬱陶しい湿気と暑さの中を卯之吉が町娘に流し目を配りながらしゃなりしゃなりと歩いていると思うと、ひとりでに可笑しさがこみあげてくる。
 2カ月連続刊行の凄さ。先月刊行の『お犬大明神』に続く第22弾となる本書では、どのような活躍(勘違い)をみせてくれるのであろうか。
 主人公の不可思議なキャラクターに加え、幕閣の熾烈な権力闘争がからんでくるところが本シリーズの骨格である。安永年間といえば歴史小説では田沼意次が権勢を極める世界だが、時代小説の本書では筆頭老中・本多出雲守VS若年寄・酒井信濃守の暗闘が造形される。酒井一派は卯之吉を老中本多の懐刀にして隠密廻同心とみなしているところから大いなる誤解が生じ、現実との齟齬を来たしていくのだが、そこに至る展開が絶妙なのである。

 今回は若年寄・酒井信濃守の輩下で北町奉行に就任したばかりの上郷備前守南町奉行所の筆頭同心の村田銕(てつ)三郎(さぶろう)を罠に嵌めようと企む。南町の筆頭同心が不始末をしでかしたとなれば、南町の面目は失墜する。町奉行は南北とも老中支配である。町奉行の不始末は老中本多出雲守の責任となる。出雲守を筆頭老中の座から引きずり下ろし、若年寄・酒井信濃守が取って代わるという構図で、その背景には大阪商人と江戸商人の利権の対立があるという構造を描いている。上郷備前守の指揮の下、村田を罠に嵌めようと実際のお膳立てを立てるのは、江戸の悪党を仕切る新富町の元締こと轡屋(くつわや)庄五郎、前(さき)の大坂(おおさか)町奉行であった上郷備前守とは旧知で大坂は高麗橋の商人・龍(りゅう)涎堂(ぜんどう)治(じ)右( )衛門(えもん)、上郷の家士で、北町奉行所の内与力に就任した生駒十郎(じゅうろう)兵衛(べえ)の三人。彼らはともに我が殿上郷を助け、酒井信濃守の御出世を願っている者同士。これにお節(せつ)という名の女軽業師が加わる。彼女は 辰巳芸者の豆吉という二つ名を持った女(め)狐(ぎつね)で、村田を手練手管の色仕掛けで篭絡することになっている。


 事件は本所(ほんじょ)、中之郷(なかのごう)の料理茶屋の天竺楼(てんじくろう)で起きる。真面目で切れ者の同心村田は酒に酔って、刀を振り回し、こともあろうに酌婦を斬り捨てるという〝人殺し〟にされるのだ。陰謀は南町奉行を罷免に追い込むためのものであるから、何が何でも村田を下手人に仕立てなければならないと、陰謀そのものは上首尾に進む。〝村田しか下手人たり得る人物はいない〟と証明するための仕掛けが二重、三重に謀りめぐらされたのだ。
 かくして、「天竺楼での芸者殺し」の勃発である。女軽業師を捕まえて悪事を白状させないと、南町の村田銕(てつ)三郎(さぶろう)が死罪になる。
 卯之吉の周囲は皆一風変わった者ばかりだが、腐れ縁の代表的登場人物は江戸の侠客で暗黒街の顔役・荒海ノ三右衛門である。卯之吉があげた手柄の数々は江戸一番の武闘派との悪名も高い荒海一家の働きがあってこそなのである。「旅芸人は侠客の手を借りなくちゃ旅ができねぇ」と知る三右衛門はただちに街道筋の兄弟分に回状(かいじょう)を出す。

 板橋、蕨、浦和と中山道脇街道を逃げるお節。お節を大宮(おおみや)宿の氷川(ひかわ)神社の手前で待ち構える荒海一家……。
 果たして卯之吉は村田を罠に嵌めた企てを看破し、同僚にして先輩同心の村田の冤罪を晴らすことができるのか……。
 手に汗握るその後の展開は触れずにおくのがこれから読まれる読者への礼儀であろう。今回も、辣腕同心、人斬り同心の虚飾がはがれて、放蕩者卯之吉の本性を見抜かれることなく、事件はひとまず「解決」するのだが、上郷備前守ら悪の張本人たちは「致命傷」を与えられていない。ここにシリーズたるゆえんがある。悪も次巻に引き継がれるのである。

 謎解きとは全く無縁だが、以下のように、江戸時代とはいかなる時代であったかをさらりと語られる下りがある。これがまた絶妙である。
徳川幕府は、商業を蔑視する儒教に心を囚われていたため、国家の金融を商人に丸投げにした。その結果、商人だけが栄えて、武士が困窮する社会を招いてしまった。」
「江戸時代を通じて幕府は関東平野の巨大湿原を田畑に改良することに人力を費やしてきた。」

 抱腹絶倒、軽快な魅力が堪能できるだけではない。書下ろし時代小説花盛りの今、幡大介のそれは奥深さが一味も二味も違う。
 
         (平成29年7月15日 雨宮由希夫 記)

書評『信長嫌い』

書名『信長嫌い』               
著者名 天野純
発売 新潮社
発行年月日  2017年5月20日
定価   本体1700円(税別)

信長嫌い

信長嫌い

 

 

 7編の短編よりなる本書は従来の<信長もの>とは違った異色の歴史小説である。信長によって人生を狂わされた7人の男を主役として書き、連作として繋ぐことによって、信長の「影」を逆照射し、信長とその時代を描き出すという作家の構想に惹きこまれた。


 本書で作家が選んだ人物は、今川義元、真柄(まがら)直(なお)隆(たか)、六角承(ろっかくじょう)禎(てい)、三好(みよし)義(よし)継(つぐ)、佐久間信(のぶ)栄(ひで)、百地丹波織田秀信の7人である。

〈第一話 義元の呪縛〉桶狭間の敗者・今川義元が主人公。物語のスタート、義元自らが太刀を振るい異母兄の玄(げん)広(こう)恵(え)深(たん)の首を落とすシーンが生々しい。
 玄広恵深と争い、これを討ち(花蔵の乱)、家督を相続し、”海道一の弓取り”になる義元だが、今川家を東海一の戦国大名に押し上げたのは義元の外交顧問で軍師・太原雪斎(崇孚(すうふ))の功績であった。もしも雪斎が存命であれば、永禄3年(1560)の桶狭間の戦いは違った展開になっていただろうとの説があるが、本書で作家は、天下統一の野望をもって上洛を企てるべく起こした桶狭間の合戦の場面でも、義元に付きまとうものは玄広恵深の亡霊と雪斎の幻影であったとしている。巻頭を飾るに相応しい秀作である。

〈第二話 直隆の武辺〉越前朝倉家の勇将真柄(まがら)直(なお)隆(たか)の視点から、元亀元年(1570)姉川の合戦に敗れ、やがて信長によって死命を制せられる朝倉家の国情を映している。信長の武力侵攻が迫るのを見た直隆は備えを固めるべしと訴えたが、当主の朝倉義景は凡庸で重い腰を上げようとしない。一方、直隆は朝倉家中でますます浮き上がった存在になっていき、姉川の合戦で討死する。武辺者の悲惨な運命を描いている。

〈第三話 承禎の妄執〉永禄11年(1568)足利義昭を奉じて上洛を目指す信長の近江進撃に際して立ちはだかるも、あえなく掃討され、衰亡の一途をたどる六角承(ろっかくじょう)禎(てい)(義賢)の生涯を承禎自らの回想を交えてたどったものである。
 南近江の六角氏は源平合戦宇治川の先陣争いで勇名を馳せた佐々木信綱を先祖とする近江源氏佐々木氏の嫡流であった。「自分からすべてを奪った男、成り上がりもの」の信長に名門の底力というものを見せてやるとの矜持だけで信長の行く手を遮ろうとする承禎の心理の内奥にメスを入れる独自の手法が冴える。

〈第四話 義継の矜持〉信長上洛以前の畿内の“天下人”三好長慶の甥で三好宗家の家督に据えられた三好(みよし)義(よし)継(つぐ)が主人公。信長の軍門に下る際、義継が信長から、義昭の妹と結婚するよう命じられるシーンから語られる。
 義継は将軍義輝を弑逆し、奈良の大仏を焼いた大罪人という終生消えるこのない汚名を抱いたまま生き、信長が義昭を将軍としたのちは、義昭とほぼ行動を共にしている。天正元年(1573)傀儡に過ぎないとはいえ将軍の義昭が信長に追放されるや、義継は義昭を自らの居城若江城に迎え、織田軍に抗して、自刃している。
 政略結婚には古い秩序の偽善性に対する限りない信長の憎悪が込められているのだろうが、政略結婚の当事者、妻にとって、夫義継は兄義輝の敵だが、添い遂げようと義継に尽くす。堅忍不抜に徹したその夫婦愛がもの悲しい。義継には、かつて畿内を制した三好宗家を滅亡に導いた暗愚の当主という一般的見解があるが、本編は新たな三好義継の人間像に迫った秀作である。

〈第五話 信栄の誤算〉7話中、唯一、織田家譜代の家臣が主人公になっている。石山本願寺攻めの総大将で、対本願寺交渉が終わると同時に弊履の如く捨てられた織田家の宿老・佐久間信盛の嫡男信(のぶ)栄(ひで)(正勝とも)は父信盛の下で、織田家の主要な戦に参陣したものの、武功など一つもなかった。信長への恐怖心で懊悩する姿とともに茶の湯に傾倒していく信栄が描かれる。
 天正8年(1580)佐久間父子は共に高野山に追放される。失意の信盛はほどなく大和の十津川で病没するが、信栄はのち信長に許され再び仕え、信長亡き後は不干斎と号して秀吉の御伽衆の一人、茶人として生きた。が、本編は佐久間父子が高野山を目指すべく天王寺を旅立つシーンで終わっている。

〈第六話 丹波の悔恨〉伊賀国名張中村周辺を治めた地侍百地丹波が主人公。丹波とその妻お梅は天正9年(1581)の天正伊賀の乱で、伊賀を焦土に変え、自分からすべてを奪った信長を討つべく、素性を隠して各地に潜伏し、信長を付け狙うが、ことごとく失敗する。信長の発する恐怖に負けた丹波は「信長を仕物(暗殺)にかけることなど到底不可能。この男は人ではないのか」とおののくが、最後のチャンスとなった本能寺で、信長と相見え、「所詮、この男もひとであったのか」と思い知るシーンは読みどころである。丹波に伊賀者としての譲れない矜持をみた信長は、「明智の手に渡さぬと誓うのであれば、この首、その方に」と告げて果てるのだ。
 主人公のキャラクターの設定など7編中最も空想性の高い1篇となっているが、信長が用済みとなった家康を謀殺するという憶測で光秀の軍が動いたという風説も巧みに織り込まれ、信長の首の行方を明白に記すなど、本能寺の変の真相に迫った注目すべき短編である。

〈第七話 秀信の憧憬〉織田秀信清洲会議で、信長の嫡孫三法師として羽柴秀吉に推戴され、わずか3歳で織田家の名目上の継嗣となったが、関ヶ原の戦では西軍に加担して敗れ、家康によって高野山に放逐され、26歳で没している。

 本編は秀信が祖父信長の夢を見るシーンから始まる。容貌や声、仕草までが自分とそっくりの夢の中の信長はきまって本能寺の光景の中に現れ、しかも信長の目は何かを問いかけるような目だとする描写にはゾクリとさせられる。
 祖父の偉大さ、織田家の誇りこそが秀信の矜持であり、「この血をもってすれば織田宗家の栄光を取り戻せる」として臨んだのが慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いであったとしている。はじめ、秀吉、つぎに石田三成の天下取りの道具として利用されただけの生涯、数奇な運命をたどった人物があざやかに蘇る。
「7人の男」の人選には作家の工夫がある。例えば「真柄直隆」では浅井長政か、朝倉義景か、「三好義継」では松永久秀か、足利義昭かが妥当な人選であろうが、あえて<信長もの>歴史小説に登場回数の少ない人物を起用して、バラエティ豊かな物語とすることに成功している。

「好悪は別として、やはり信長という男は偉大だったのだ」(百地丹波)という一文がある。時に英雄にも見え、時に魔王にも見えた信長だが、私たちは信長に夢を見たいのだ。人は戦国史を振り返るとき、やはり信長を夢見たいのだ。乱世たる戦国時代、人は欲望を剥き出しにしたが、人はいかに生きいかに死んだか以外に、究極として小説に描かれることはない。歴史小説ではこれが作家の史観で以て描かれるのだ。史観が大仰であるというのであれば、それは歴史への目配りと言い換えてもよい。


 歴史の非情さ、歴史の皮肉をすかさず掬い取って見せるところに、作家天野(あまの)純(すみ)希(き)の天賦の才、歴史に対する目配りの好さが見て取れる。描写のひとつひとつに教養が匂っていて、こういう文章を書ける人は向後容易に輩出するとは思われない。
         (平成29年7月11日  雨宮由希夫 記)

 

書評『維新の羆撃ち』

書名『維新の羆撃ち』                     
著者名 経塚丸雄
発売 河出書房新社
発行年月日  2017年6月30日
定価  ¥1500E

 

維新の羆撃ち

維新の羆撃ち

 

 

 今年6月、読みだしたら止まらない秀抜な人間描写の『旗本金融道』(双葉社)で第6回歴史時代作家クラブ賞新人賞を受賞した経塚丸雄(1958年福岡生まれ、東京・神奈川育ち)の新作は、幕臣箱館戦争の落武者を主人公とした「幕末維新もの」である。

 主人公の奥平八郎太はペリーが再び浦賀に来航した安政元年(1854)に禄高千二百石、御書院番士を務める名門旗本家の一員として神田駿河台に生まれた。八郎太は幕府遊撃隊結成当初から師・伊庭八郎(1843~1869)に付き従い、鳥羽伏見、箱根山崎を経て五稜郭まで、この二年間、常に師の側で戦ってきた。

 明治2年(1869)5月18日、五稜郭開城。時に八郎太、数え16歳。榎本武揚が降伏したその日、八郎太は兄・喜一郎や御家人本多佐吉たちと脱走する。新政府軍に追われ蝦夷地の山奥に逃げ延びたが、八郎太は兄と別れたのち、羆に襲われ、瀕死の重傷を負い、猟師の十蔵・喜代夫婦に一命を救われる。蝦夷地の南方、ユーラップ川中流域の人里離れた山中の10坪ほどの掘っ立て小屋が彼ら夫婦の住処である。八郎太は回復してからは物置小屋に一人寝泊りする。孫ほどにも歳の離れた女を妻とする十蔵夫妻に気を使った奇妙な生活が始まるという生々しい展開に、先ず、読者は惹きつけられるであろう。

 十蔵こと鏑木十蔵は元庄内藩士。人殺しの凶状持ちの脱藩者で、羆の肉を喰らう猟師としての生活を続けているが、労咳に侵されている。喜代は庄内の貧農の長女。江差の飯盛り女であったとき、病に苛まれ、ただ同然で十蔵に身請けされた。

 その十蔵は八郎太に「猟師になれ」という。「猟師になどなるもりはない」と応える八郎太に「手に職をつけよ」落武者として蝦夷地に隠棲するにしても暮らしが立つようにすることがものの道理だというわけである。また、喜代を引き継いでお主の妻となせ、と十蔵は庄内弁の耳にまとわりつくようなねっとりした言い回しで八郎太に迫る。

  明治3年(1870)旧暦の10月、十蔵逝去。「いつか心が癒えたとき、お主は山を下りるべき。もっとお主らしい生き方を探すべし」が十蔵の言い遺した言葉であった。十蔵の死後、八郎太は十蔵の跡をとり猟師を生業として暮らしているが、相も変わらず物置小屋に寝泊りしている。「妻」喜代の手すら握らない。
 明治6年(1873)初夏、兄喜一郎との再会。4年前、北に逃げたはずの喜一郎が山中で別れたのち、すぐに新政府軍に投降していたことを知り、八郎太は兄に裏切られたと思う。兄は開拓使庁に出仕、榎本武揚の下で働いていた。共に働こうと兄に勧められるが、八郎太は「明治という新しい時代」に参加するつもりはなど毛頭なかった。

  鳥羽伏見の敗戦以来の様々な出来事、思い出したくもない不愉快な記憶がよみがえる。忠義のために徳川家に殉ずるなどという「後ろ向き」な「立ち遅れた」倫理観を払拭し大局観に立ち行動すべしという意見に耳を貸さず、たとえ頑迷固陋な人間と決めつけられても、八郎太が最後まで幕臣としての矜持を忘れずに戦かったのは何よりも幕臣として死にたかったからだ。

 その年の11月、二度と会うことはあるまいと思っていた札幌の兄を訪ねる。

 羆猟師となって4年が過ぎていた。喜代とは生業としての熊撃ちを通じ「名目上の夫婦」から心身ともに求め合う「本物の夫婦」になることができた。「潮時だ。山を下りよう」と八郎太は決意する。羆猟に対する情熱が薄れていたこともあるが、札幌に兄を訪ねて、伊庭八郎の死の真相を知ったことも大きかった。伊庭八郎は八郎太ら若者に未来を生きよと伝えるべく、みずからは切腹ではなくモルヒネをあおって死んだという。
 ラストエンドは、喜代を連れ、新しい世界に、明治という時代に、巣立って行って良いのか、となおも八郎太が躊躇するシーンである。

 最後の将軍徳川慶喜は唐突に政権を返上した上に、鳥羽伏見の戦いでは敵前逃亡。かくて旧幕府軍にとって戊辰戦争は「勝ち目はないだろう戦(いくさ)」(福沢諭吉「痩せ我慢の説」)となったが、多くの幕臣はなぜ敢えて参戦し、箱館戦争まで戦ったのだろうか。

 徳川に殉ずるべく戦った彼らが時代の変化に対応できない頑迷固陋な元幕臣ではなかったことは本書で描かれるとおりである。彼らは武士として人間として生きるがために戦わざるを得なかったのである。いわゆる明治維新は旧態依然たる固陋な徳川幕府を倒して、開明な明治政府が誕生し、近代国家が誕生したという図式で語られることが多かったが、事実としての明治維新はそのようなものではなかった。
 

 動乱期の奔流に押し流され、歴史の裏に埋没しつつ維新後を生きた旧幕臣たちの生きざまと時代とのコミットは単純明瞭なものではない。幕臣たちがどのように明治という時代を生き続け、明治という時代をどう見ていたか。幕臣の大半は零落してしまうため、その実像を知る手がかりは余り残されていない。とりわけ、本書の登場人物・本多佐吉のような下級武士たる名も無き御家人たちはどこに消えたのか。150年前の歴史上の人物というものは、もはや、この世には存在し得ないものであるが、本書では秀逸な作家の目を通じて蘇った。

 朝敵と罵られ賊軍の悲哀を味わい、新政府に仕えることを潔(いさぎよ)しとしなかった八郎太はこれから「新しい時代」に踏み入ることになるが、彼の前途にはなにが待ち受けているのであろうか。作家の構想の内にあるのかどうかわからないが、「続編」もたのしみである。

 箱館戦争と言えば、そもそも、榎本武揚の夢とは何であったのかにも興味のある読者は多かろう。戊辰戦争における榎本武揚の行動には謎があり、榎本狂言説すらあるが、本書で作家は榎本や慶喜を嫌悪する八郎太を描くことにより、作家の榎本像の一端が示されているのも読みどころである。

 新人離れした鮮やかな才能が、鳥羽伏見から箱館までの戊辰戦争を生き抜いた一人の元幕臣の存在と当時の時代の雰囲気そのものを見事に描きつくした。
 群雄割拠の幕末維新もの歴史時代小説界に、またひとり、凄い書き手が加わった。
(平成29年6月29日 雨宮由希夫 記)