歴史時代作家クラブ公式ブログ

現在活躍中の歴史時代作家が多数所属する文学団体です。時代文庫活性化を目指し、各社から出ている時代小説文庫等の紹介もします。初めにこちらをお読みください。→http://rekishijidaisakkaclub.hatenablog.com/entry/2014/08/01/105546

書評『大富豪同心 闇の奉行』

書名『大富豪同心 闇の奉行』
著者 幡 大介
発売 双葉社
発行年月日  2017年7月16日 
定価  ¥611E

 

闇の奉行-大富豪同心(22) (双葉文庫)

闇の奉行-大富豪同心(22) (双葉文庫)

 

 


 八巻卯之吉の祖父・三国屋徳右衛門は江戸一番の札差、両替商で、しかも日本一の悪徳高利貸しで、筆頭老中の本多出雲守とは持ちつ持たれる関係、昵懇の豪商である。孫可愛さのあまりに三国屋は出雲守に賂を握らせて卯之吉を同心にしてしまう常識はずれでもある。「捕物もの」時代小説の主人公として、卯之吉ほど不可思議なキャラクターはないであろう。
 卯之吉は時代小説にしばしば登場するヒーロー的な同心でもなければ、自らの意志と正義を敢然と貫く同心でもない。世評では「南町の辣腕同心」の卯之吉だが、三国屋の放蕩息子が放蕩遊びの延長で南町の同心を努めているにすぎない。にもかかわらず、いつもの勘違いが発生して、難事件を解決し(難事件が解決され)てしまう。シリーズ累計63万部を突破したとのことだが、読者はそこがたまらなく面白いのだろう。

「大富豪同心」シリーズは2010年1月にスタートした。第一巻の冒頭で「時は安永、十代将軍家治の御世。梅雨明け間近、江戸は日本橋室町を24歳の卯之吉が歩いている」。240年前の日本橋界隈を、梅雨明け間近の鬱陶しい湿気と暑さの中を卯之吉が町娘に流し目を配りながらしゃなりしゃなりと歩いていると思うと、ひとりでに可笑しさがこみあげてくる。
 2カ月連続刊行の凄さ。先月刊行の『お犬大明神』に続く第22弾となる本書では、どのような活躍(勘違い)をみせてくれるのであろうか。
 主人公の不可思議なキャラクターに加え、幕閣の熾烈な権力闘争がからんでくるところが本シリーズの骨格である。安永年間といえば歴史小説では田沼意次が権勢を極める世界だが、時代小説の本書では筆頭老中・本多出雲守VS若年寄・酒井信濃守の暗闘が造形される。酒井一派は卯之吉を老中本多の懐刀にして隠密廻同心とみなしているところから大いなる誤解が生じ、現実との齟齬を来たしていくのだが、そこに至る展開が絶妙なのである。

 今回は若年寄・酒井信濃守の輩下で北町奉行に就任したばかりの上郷備前守南町奉行所の筆頭同心の村田銕(てつ)三郎(さぶろう)を罠に嵌めようと企む。南町の筆頭同心が不始末をしでかしたとなれば、南町の面目は失墜する。町奉行は南北とも老中支配である。町奉行の不始末は老中本多出雲守の責任となる。出雲守を筆頭老中の座から引きずり下ろし、若年寄・酒井信濃守が取って代わるという構図で、その背景には大阪商人と江戸商人の利権の対立があるという構造を描いている。上郷備前守の指揮の下、村田を罠に嵌めようと実際のお膳立てを立てるのは、江戸の悪党を仕切る新富町の元締こと轡屋(くつわや)庄五郎、前(さき)の大坂(おおさか)町奉行であった上郷備前守とは旧知で大坂は高麗橋の商人・龍(りゅう)涎堂(ぜんどう)治(じ)右( )衛門(えもん)、上郷の家士で、北町奉行所の内与力に就任した生駒十郎(じゅうろう)兵衛(べえ)の三人。彼らはともに我が殿上郷を助け、酒井信濃守の御出世を願っている者同士。これにお節(せつ)という名の女軽業師が加わる。彼女は 辰巳芸者の豆吉という二つ名を持った女(め)狐(ぎつね)で、村田を手練手管の色仕掛けで篭絡することになっている。


 事件は本所(ほんじょ)、中之郷(なかのごう)の料理茶屋の天竺楼(てんじくろう)で起きる。真面目で切れ者の同心村田は酒に酔って、刀を振り回し、こともあろうに酌婦を斬り捨てるという〝人殺し〟にされるのだ。陰謀は南町奉行を罷免に追い込むためのものであるから、何が何でも村田を下手人に仕立てなければならないと、陰謀そのものは上首尾に進む。〝村田しか下手人たり得る人物はいない〟と証明するための仕掛けが二重、三重に謀りめぐらされたのだ。
 かくして、「天竺楼での芸者殺し」の勃発である。女軽業師を捕まえて悪事を白状させないと、南町の村田銕(てつ)三郎(さぶろう)が死罪になる。
 卯之吉の周囲は皆一風変わった者ばかりだが、腐れ縁の代表的登場人物は江戸の侠客で暗黒街の顔役・荒海ノ三右衛門である。卯之吉があげた手柄の数々は江戸一番の武闘派との悪名も高い荒海一家の働きがあってこそなのである。「旅芸人は侠客の手を借りなくちゃ旅ができねぇ」と知る三右衛門はただちに街道筋の兄弟分に回状(かいじょう)を出す。

 板橋、蕨、浦和と中山道脇街道を逃げるお節。お節を大宮(おおみや)宿の氷川(ひかわ)神社の手前で待ち構える荒海一家……。
 果たして卯之吉は村田を罠に嵌めた企てを看破し、同僚にして先輩同心の村田の冤罪を晴らすことができるのか……。
 手に汗握るその後の展開は触れずにおくのがこれから読まれる読者への礼儀であろう。今回も、辣腕同心、人斬り同心の虚飾がはがれて、放蕩者卯之吉の本性を見抜かれることなく、事件はひとまず「解決」するのだが、上郷備前守ら悪の張本人たちは「致命傷」を与えられていない。ここにシリーズたるゆえんがある。悪も次巻に引き継がれるのである。

 謎解きとは全く無縁だが、以下のように、江戸時代とはいかなる時代であったかをさらりと語られる下りがある。これがまた絶妙である。
徳川幕府は、商業を蔑視する儒教に心を囚われていたため、国家の金融を商人に丸投げにした。その結果、商人だけが栄えて、武士が困窮する社会を招いてしまった。」
「江戸時代を通じて幕府は関東平野の巨大湿原を田畑に改良することに人力を費やしてきた。」

 抱腹絶倒、軽快な魅力が堪能できるだけではない。書下ろし時代小説花盛りの今、幡大介のそれは奥深さが一味も二味も違う。
 
         (平成29年7月15日 雨宮由希夫 記)

書評『信長嫌い』

書名『信長嫌い』               
著者名 天野純
発売 新潮社
発行年月日  2017年5月20日
定価   本体1700円(税別)

信長嫌い

信長嫌い

 

 

 7編の短編よりなる本書は従来の<信長もの>とは違った異色の歴史小説である。信長によって人生を狂わされた7人の男を主役として書き、連作として繋ぐことによって、信長の「影」を逆照射し、信長とその時代を描き出すという作家の構想に惹きこまれた。


 本書で作家が選んだ人物は、今川義元、真柄(まがら)直(なお)隆(たか)、六角承(ろっかくじょう)禎(てい)、三好(みよし)義(よし)継(つぐ)、佐久間信(のぶ)栄(ひで)、百地丹波織田秀信の7人である。

〈第一話 義元の呪縛〉桶狭間の敗者・今川義元が主人公。物語のスタート、義元自らが太刀を振るい異母兄の玄(げん)広(こう)恵(え)深(たん)の首を落とすシーンが生々しい。
 玄広恵深と争い、これを討ち(花蔵の乱)、家督を相続し、”海道一の弓取り”になる義元だが、今川家を東海一の戦国大名に押し上げたのは義元の外交顧問で軍師・太原雪斎(崇孚(すうふ))の功績であった。もしも雪斎が存命であれば、永禄3年(1560)の桶狭間の戦いは違った展開になっていただろうとの説があるが、本書で作家は、天下統一の野望をもって上洛を企てるべく起こした桶狭間の合戦の場面でも、義元に付きまとうものは玄広恵深の亡霊と雪斎の幻影であったとしている。巻頭を飾るに相応しい秀作である。

〈第二話 直隆の武辺〉越前朝倉家の勇将真柄(まがら)直(なお)隆(たか)の視点から、元亀元年(1570)姉川の合戦に敗れ、やがて信長によって死命を制せられる朝倉家の国情を映している。信長の武力侵攻が迫るのを見た直隆は備えを固めるべしと訴えたが、当主の朝倉義景は凡庸で重い腰を上げようとしない。一方、直隆は朝倉家中でますます浮き上がった存在になっていき、姉川の合戦で討死する。武辺者の悲惨な運命を描いている。

〈第三話 承禎の妄執〉永禄11年(1568)足利義昭を奉じて上洛を目指す信長の近江進撃に際して立ちはだかるも、あえなく掃討され、衰亡の一途をたどる六角承(ろっかくじょう)禎(てい)(義賢)の生涯を承禎自らの回想を交えてたどったものである。
 南近江の六角氏は源平合戦宇治川の先陣争いで勇名を馳せた佐々木信綱を先祖とする近江源氏佐々木氏の嫡流であった。「自分からすべてを奪った男、成り上がりもの」の信長に名門の底力というものを見せてやるとの矜持だけで信長の行く手を遮ろうとする承禎の心理の内奥にメスを入れる独自の手法が冴える。

〈第四話 義継の矜持〉信長上洛以前の畿内の“天下人”三好長慶の甥で三好宗家の家督に据えられた三好(みよし)義(よし)継(つぐ)が主人公。信長の軍門に下る際、義継が信長から、義昭の妹と結婚するよう命じられるシーンから語られる。
 義継は将軍義輝を弑逆し、奈良の大仏を焼いた大罪人という終生消えるこのない汚名を抱いたまま生き、信長が義昭を将軍としたのちは、義昭とほぼ行動を共にしている。天正元年(1573)傀儡に過ぎないとはいえ将軍の義昭が信長に追放されるや、義継は義昭を自らの居城若江城に迎え、織田軍に抗して、自刃している。
 政略結婚には古い秩序の偽善性に対する限りない信長の憎悪が込められているのだろうが、政略結婚の当事者、妻にとって、夫義継は兄義輝の敵だが、添い遂げようと義継に尽くす。堅忍不抜に徹したその夫婦愛がもの悲しい。義継には、かつて畿内を制した三好宗家を滅亡に導いた暗愚の当主という一般的見解があるが、本編は新たな三好義継の人間像に迫った秀作である。

〈第五話 信栄の誤算〉7話中、唯一、織田家譜代の家臣が主人公になっている。石山本願寺攻めの総大将で、対本願寺交渉が終わると同時に弊履の如く捨てられた織田家の宿老・佐久間信盛の嫡男信(のぶ)栄(ひで)(正勝とも)は父信盛の下で、織田家の主要な戦に参陣したものの、武功など一つもなかった。信長への恐怖心で懊悩する姿とともに茶の湯に傾倒していく信栄が描かれる。
 天正8年(1580)佐久間父子は共に高野山に追放される。失意の信盛はほどなく大和の十津川で病没するが、信栄はのち信長に許され再び仕え、信長亡き後は不干斎と号して秀吉の御伽衆の一人、茶人として生きた。が、本編は佐久間父子が高野山を目指すべく天王寺を旅立つシーンで終わっている。

〈第六話 丹波の悔恨〉伊賀国名張中村周辺を治めた地侍百地丹波が主人公。丹波とその妻お梅は天正9年(1581)の天正伊賀の乱で、伊賀を焦土に変え、自分からすべてを奪った信長を討つべく、素性を隠して各地に潜伏し、信長を付け狙うが、ことごとく失敗する。信長の発する恐怖に負けた丹波は「信長を仕物(暗殺)にかけることなど到底不可能。この男は人ではないのか」とおののくが、最後のチャンスとなった本能寺で、信長と相見え、「所詮、この男もひとであったのか」と思い知るシーンは読みどころである。丹波に伊賀者としての譲れない矜持をみた信長は、「明智の手に渡さぬと誓うのであれば、この首、その方に」と告げて果てるのだ。
 主人公のキャラクターの設定など7編中最も空想性の高い1篇となっているが、信長が用済みとなった家康を謀殺するという憶測で光秀の軍が動いたという風説も巧みに織り込まれ、信長の首の行方を明白に記すなど、本能寺の変の真相に迫った注目すべき短編である。

〈第七話 秀信の憧憬〉織田秀信清洲会議で、信長の嫡孫三法師として羽柴秀吉に推戴され、わずか3歳で織田家の名目上の継嗣となったが、関ヶ原の戦では西軍に加担して敗れ、家康によって高野山に放逐され、26歳で没している。

 本編は秀信が祖父信長の夢を見るシーンから始まる。容貌や声、仕草までが自分とそっくりの夢の中の信長はきまって本能寺の光景の中に現れ、しかも信長の目は何かを問いかけるような目だとする描写にはゾクリとさせられる。
 祖父の偉大さ、織田家の誇りこそが秀信の矜持であり、「この血をもってすれば織田宗家の栄光を取り戻せる」として臨んだのが慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いであったとしている。はじめ、秀吉、つぎに石田三成の天下取りの道具として利用されただけの生涯、数奇な運命をたどった人物があざやかに蘇る。
「7人の男」の人選には作家の工夫がある。例えば「真柄直隆」では浅井長政か、朝倉義景か、「三好義継」では松永久秀か、足利義昭かが妥当な人選であろうが、あえて<信長もの>歴史小説に登場回数の少ない人物を起用して、バラエティ豊かな物語とすることに成功している。

「好悪は別として、やはり信長という男は偉大だったのだ」(百地丹波)という一文がある。時に英雄にも見え、時に魔王にも見えた信長だが、私たちは信長に夢を見たいのだ。人は戦国史を振り返るとき、やはり信長を夢見たいのだ。乱世たる戦国時代、人は欲望を剥き出しにしたが、人はいかに生きいかに死んだか以外に、究極として小説に描かれることはない。歴史小説ではこれが作家の史観で以て描かれるのだ。史観が大仰であるというのであれば、それは歴史への目配りと言い換えてもよい。


 歴史の非情さ、歴史の皮肉をすかさず掬い取って見せるところに、作家天野(あまの)純(すみ)希(き)の天賦の才、歴史に対する目配りの好さが見て取れる。描写のひとつひとつに教養が匂っていて、こういう文章を書ける人は向後容易に輩出するとは思われない。
         (平成29年7月11日  雨宮由希夫 記)

 

書評『維新の羆撃ち』

書名『維新の羆撃ち』                     
著者名 経塚丸雄
発売 河出書房新社
発行年月日  2017年6月30日
定価  ¥1500E

 

維新の羆撃ち

維新の羆撃ち

 

 

 今年6月、読みだしたら止まらない秀抜な人間描写の『旗本金融道』(双葉社)で第6回歴史時代作家クラブ賞新人賞を受賞した経塚丸雄(1958年福岡生まれ、東京・神奈川育ち)の新作は、幕臣箱館戦争の落武者を主人公とした「幕末維新もの」である。

 主人公の奥平八郎太はペリーが再び浦賀に来航した安政元年(1854)に禄高千二百石、御書院番士を務める名門旗本家の一員として神田駿河台に生まれた。八郎太は幕府遊撃隊結成当初から師・伊庭八郎(1843~1869)に付き従い、鳥羽伏見、箱根山崎を経て五稜郭まで、この二年間、常に師の側で戦ってきた。

 明治2年(1869)5月18日、五稜郭開城。時に八郎太、数え16歳。榎本武揚が降伏したその日、八郎太は兄・喜一郎や御家人本多佐吉たちと脱走する。新政府軍に追われ蝦夷地の山奥に逃げ延びたが、八郎太は兄と別れたのち、羆に襲われ、瀕死の重傷を負い、猟師の十蔵・喜代夫婦に一命を救われる。蝦夷地の南方、ユーラップ川中流域の人里離れた山中の10坪ほどの掘っ立て小屋が彼ら夫婦の住処である。八郎太は回復してからは物置小屋に一人寝泊りする。孫ほどにも歳の離れた女を妻とする十蔵夫妻に気を使った奇妙な生活が始まるという生々しい展開に、先ず、読者は惹きつけられるであろう。

 十蔵こと鏑木十蔵は元庄内藩士。人殺しの凶状持ちの脱藩者で、羆の肉を喰らう猟師としての生活を続けているが、労咳に侵されている。喜代は庄内の貧農の長女。江差の飯盛り女であったとき、病に苛まれ、ただ同然で十蔵に身請けされた。

 その十蔵は八郎太に「猟師になれ」という。「猟師になどなるもりはない」と応える八郎太に「手に職をつけよ」落武者として蝦夷地に隠棲するにしても暮らしが立つようにすることがものの道理だというわけである。また、喜代を引き継いでお主の妻となせ、と十蔵は庄内弁の耳にまとわりつくようなねっとりした言い回しで八郎太に迫る。

  明治3年(1870)旧暦の10月、十蔵逝去。「いつか心が癒えたとき、お主は山を下りるべき。もっとお主らしい生き方を探すべし」が十蔵の言い遺した言葉であった。十蔵の死後、八郎太は十蔵の跡をとり猟師を生業として暮らしているが、相も変わらず物置小屋に寝泊りしている。「妻」喜代の手すら握らない。
 明治6年(1873)初夏、兄喜一郎との再会。4年前、北に逃げたはずの喜一郎が山中で別れたのち、すぐに新政府軍に投降していたことを知り、八郎太は兄に裏切られたと思う。兄は開拓使庁に出仕、榎本武揚の下で働いていた。共に働こうと兄に勧められるが、八郎太は「明治という新しい時代」に参加するつもりはなど毛頭なかった。

  鳥羽伏見の敗戦以来の様々な出来事、思い出したくもない不愉快な記憶がよみがえる。忠義のために徳川家に殉ずるなどという「後ろ向き」な「立ち遅れた」倫理観を払拭し大局観に立ち行動すべしという意見に耳を貸さず、たとえ頑迷固陋な人間と決めつけられても、八郎太が最後まで幕臣としての矜持を忘れずに戦かったのは何よりも幕臣として死にたかったからだ。

 その年の11月、二度と会うことはあるまいと思っていた札幌の兄を訪ねる。

 羆猟師となって4年が過ぎていた。喜代とは生業としての熊撃ちを通じ「名目上の夫婦」から心身ともに求め合う「本物の夫婦」になることができた。「潮時だ。山を下りよう」と八郎太は決意する。羆猟に対する情熱が薄れていたこともあるが、札幌に兄を訪ねて、伊庭八郎の死の真相を知ったことも大きかった。伊庭八郎は八郎太ら若者に未来を生きよと伝えるべく、みずからは切腹ではなくモルヒネをあおって死んだという。
 ラストエンドは、喜代を連れ、新しい世界に、明治という時代に、巣立って行って良いのか、となおも八郎太が躊躇するシーンである。

 最後の将軍徳川慶喜は唐突に政権を返上した上に、鳥羽伏見の戦いでは敵前逃亡。かくて旧幕府軍にとって戊辰戦争は「勝ち目はないだろう戦(いくさ)」(福沢諭吉「痩せ我慢の説」)となったが、多くの幕臣はなぜ敢えて参戦し、箱館戦争まで戦ったのだろうか。

 徳川に殉ずるべく戦った彼らが時代の変化に対応できない頑迷固陋な元幕臣ではなかったことは本書で描かれるとおりである。彼らは武士として人間として生きるがために戦わざるを得なかったのである。いわゆる明治維新は旧態依然たる固陋な徳川幕府を倒して、開明な明治政府が誕生し、近代国家が誕生したという図式で語られることが多かったが、事実としての明治維新はそのようなものではなかった。
 

 動乱期の奔流に押し流され、歴史の裏に埋没しつつ維新後を生きた旧幕臣たちの生きざまと時代とのコミットは単純明瞭なものではない。幕臣たちがどのように明治という時代を生き続け、明治という時代をどう見ていたか。幕臣の大半は零落してしまうため、その実像を知る手がかりは余り残されていない。とりわけ、本書の登場人物・本多佐吉のような下級武士たる名も無き御家人たちはどこに消えたのか。150年前の歴史上の人物というものは、もはや、この世には存在し得ないものであるが、本書では秀逸な作家の目を通じて蘇った。

 朝敵と罵られ賊軍の悲哀を味わい、新政府に仕えることを潔(いさぎよ)しとしなかった八郎太はこれから「新しい時代」に踏み入ることになるが、彼の前途にはなにが待ち受けているのであろうか。作家の構想の内にあるのかどうかわからないが、「続編」もたのしみである。

 箱館戦争と言えば、そもそも、榎本武揚の夢とは何であったのかにも興味のある読者は多かろう。戊辰戦争における榎本武揚の行動には謎があり、榎本狂言説すらあるが、本書で作家は榎本や慶喜を嫌悪する八郎太を描くことにより、作家の榎本像の一端が示されているのも読みどころである。

 新人離れした鮮やかな才能が、鳥羽伏見から箱館までの戊辰戦争を生き抜いた一人の元幕臣の存在と当時の時代の雰囲気そのものを見事に描きつくした。
 群雄割拠の幕末維新もの歴史時代小説界に、またひとり、凄い書き手が加わった。
(平成29年6月29日 雨宮由希夫 記)

書評『別子太平記 愛媛新居浜別子銅山物語』

書 名   『別子太平記 愛媛新居浜別子銅山物語』
著 者   井川香四郎
発行所   徳間書店
発行年月日 2017年5月31日
定 価    ¥1800E

別子太平記 : 愛媛新居浜別子銅山物語 (文芸書)

別子太平記 : 愛媛新居浜別子銅山物語 (文芸書)

 

 

 本能寺の変の3年後、豊臣秀吉による四国平定戦(“天正の陣”)。新居(にい)にその人ありといわれた金子備後守元宅(もといえ)が小早川景隆・吉川元長など毛利軍3万の兵に取り囲まれている。東予の2郡(宇摩郡・新居郡)の領主金子元宅(もといえ)は長宗(ちょうそ)我部元(がべもと)親(ちか)方に立って徹底抗戦し、壮絶な最期を遂げるが、本宅は“三つ蜻蛉紋”の金子家の家紋を三つに切り分け、「生きて国を守れ」と三人の若者、真鍋義弘・近藤保馬・黒瀬明光に託すところから物語ははじまる。
 落ち武者狩りから逃れるべく散り散りに別れた彼らは生きているうちに相見えることがなかったが、子孫が百年以上の時を隔てて吸い取られるように別子銅山に集まる――。

 いうまでもなく、別子銅山愛媛県宇摩郡別子山村から新居浜市にかけて存在した日本の代表的銅山である。
 本作は3部10章の構成で、戦国末期、元禄、そして幕末明治の3時代をクローズアップして別子銅山の「通史」を描いた歴史小説である。
 住友グループ企業城下町「工都・新居浜」は今年、市制施行80周年を迎えるが、それを記念して、本作は新居浜市とのコラボレーション企画として、地元出身の作家井川香四郎によって書下ろしされた。
 別子銅山は元禄4年(1691)の開坑から昭和47年(1972)の閉山まで一貫して住友が稼業した。よって、本作は企業小説『小説「住友」』として読まれる宿命がある。
 企業小説にはたいてい企業自体が編纂した“正史”というべき「社史」のごときモデルがあるが、綿密な取材、さらには“卑史野史”の類を取り混ぜ、思い切った推理を交えて、作家は物語を組み立て真実に迫る。現存する企業そのものが対象となる場合の通史を描くことの難しさは、いかにクールに客観性をもって描けるかにある。

 本書の出だしは戦国末期を舞台背景とした戦記物そのものだが、元禄以降は経済戦争の戦記物を読む感がある。
 第2章「泉屋の灯」から、時は下って、5代将軍綱吉の治世下の元禄年間。
 元禄3年(1690)、伝説の“切上り長兵衛”によって、別子にて新しい鉱脈が発見される。
 川之江代官の後藤覚右衛門(真鍋義弘の後裔)、住友泉屋の支配人の田向重右衛門(近藤保馬の後裔)、それに長兵衛(黒瀬明光の後裔)の三人はご先祖様たちが別れたという峠で打ち揃い、これぞ、ご先祖様のお導きと喜ぶとともに、三人は秀吉が金子備後守の支配する新居・宇摩を狙ったのは、伊予の山中に眠っている銅鉱という財宝ほしさに、無用な戦を仕掛けて、新居の地を奪い取ったことを知る。
 そもそも別子銅山を開くことの目的のひとつが勘定頭差添役(後の勘定吟味役)の荻原重秀の貨幣改鋳という狙いにあったとする場面があるが、如何にして「泉屋」が採掘権を勝ち取り、幕府と戦って、天領でありながら、別子銅山を手放さず、自ら営んでゆくかは本書の読みどころである。
 第6章「開国の宴」から幕末明治。明治維新の動乱に際し、別子銅山は危機に直面する。官軍を名乗る土佐藩別子銅山を接収するのだ。その時、「幕府に成り代わって、別子銅山を支配する権限、土佐藩にありや」と新政府にねじこみ、別子銅山の稼業権を認めさせたのは広瀬宰平(1826~1914)である。
 お雇い外国人を招いて近代化を敢行し別子銅山を再生し、住友のドル箱とし、初代の住友総理事となる広瀬は「東の渋沢、西の広瀬」と併称された実業家で、この広瀬なくして明治以後の住友財閥住友グループの隆盛はなかった。

 本書は鉱脈発見から283年にわたる別子銅山の苦難と歓喜の物語であるとともに、3人の男たちを先祖と仰ぐその末裔の物語としたところに歴史時代小説作家の本領が見て取れる。元禄7年の大火事で死亡した長兵衛と、灰燼とかした銅山の町にとどまり生きたその妻おときの生きざまを見よ。新居浜出身の作家井川香四郎の土地に根差した郷土愛が、先人たちの銅山にかけた情熱と常に命がけで生きてきた姿、さらには当時の時代意識までをもものの見事に甦らさせている。
 別子銅山の存在をかくも身近なものとした、この銅山にまつわる歴史小説の誕生を賀したい。
 
  (平成29年6月18日  雨宮由希夫 記)

書評『大富豪同心 お犬大明神』

書名『大富豪同心 お犬大明神』
著者 幡 大介
発売 双葉社
発行年月日  2017年6月18日 
定価  ¥611E

お犬大明神-大富豪同心(21) (双葉文庫)

お犬大明神-大富豪同心(21) (双葉文庫)

 

 

「捕物もの」時代小説の主人公として、八巻卯之吉ほど不可思議なキャラクターはないであろう。
 先ず、その出自。卯之吉の祖父・三国屋徳右衛門は江戸一番の悪徳高利貸しで、筆頭老中の本多出雲守と幕政をも左右するほどの豪商である。ゆえに金に困る貧乏同心ではないゆえに、「大富豪同心」なのである。
 卯之吉は時代小説にしばしば登場するヒーロー的な同心でもなければ、自らの意志と正義を敢然と貫く同心でもない。「南の辣腕同心」の呼び声が高いが、まずもって本人に同心の自覚がない。放蕩遊びの延長で南町の同心を努めているにすぎない。にもかかわらず、いつもの勘違いが発生して、難事件を解決し(難事件が解決され)、生神様のように崇め奉られる。シリーズ累計60万部を突破したとのことだが、読者はそこがたまらなく面白いのだろう。

 第21弾となる本書では、どのような活躍(勘違い)をみせてくれるのであろうか。
 生類憐みの令の時代が背景ではないが、この度、卯之吉は“お犬掛同心”を自称し、市中を見廻わる。上様の御愛妾・お静の方が宿下がりの折、上様御寵愛の飼い犬をどこかへ逃がしてしまう。一方で、「将軍様の犬」を盗まんと策す悪党二人がいる。このとりとめのない二つの事件がどうつながるかと思いきや、これに幕閣の熾烈な権力闘争が浮き上がってくる。おなじみ、筆頭老中・本多出雲守VS若年寄・酒井信濃守の暗闘である。酒井一派は卯之吉を本多の懐刀にして隠密廻同心とみなしているところから大いなる誤解と共にストーリーが展開する。このおかしさは何だ。
 卯之吉の周囲は皆一風変わった者ばかりだが、彼らとは事件を経るごとにかねてからの腐れ縁とも呼びたい仲になっていくのには奇妙な味わいがある。

 腐れ縁の代表的登場人物は大物侠客・荒海ノ三右衛門である。卯之吉があげた手柄の数々は博徒集団荒海一家の働きがあってこそだが、卯之吉が「南北町奉行所一の怠け者」であることを知らずに、その卯之吉の手下を自任し、卯之吉最良の庇護者となっていくところは何やら微笑ましい。
 美鈴という女がいる。常に卯之吉の身の回りの世話をしている奇妙な同居人だが、卯之吉の思い人というわけでもない。ふたりの”恋”がどうなるか。ますます愉しみなのである。

 幡大介は1968年栃木県生まれ。武蔵野美術大学造形学部卒の作家という変わり種(同窓の作家に村上龍がいる)で、2008年デビューの要注目作家である。抱腹絶倒、軽快な魅力が堪能できる本シリーズ以外に、徳間文庫で刊行中の『真田合戦記』を見よ。ただ者でない。汲めども尽きないのが泉なら、読めども尽きないのが幡大介である。
          (平成29年6月13日 雨宮由希夫 記)

書評『龍が哭く』

書名 『龍が哭く』
著者名 秋山香乃
発売  PHP研究所
発行年月日  2017年6月1日
定価  ¥2100E

龍が哭(な)く

龍が哭(な)く

 

 
 悲運の傑物・河井継之助を描いた司馬遼太郎の『峠』は1966年11月から68年5月までの約1年半、「毎日新聞」に連載された。あれからほぼ半世紀、同じく河井継之助を秋山香乃が『龍が哭く』として描きつくした。本作は2015年2月から本年3月までの2年にわたり、「新潟日報」他10紙に連載された。

 司馬は「侍とは何か」ということを考えてみたいために『峠』を書いたと述べているが、秋山は本書で何を語ろうとしているのか興味を持ってページを括った。
 生きていた時代でさえ、河井の人物評価は割れていたという。河井の死後、その墓碑は何者かによって打ち砕かれたこともあったという。

 河井継之助(1827~1868)は長岡藩筆頭家老で、戊辰戦争(北越戦争)でわずか7万4千石の小藩・長岡藩を「一藩中立の道」に導こうとするが、新政府軍との談判で受け入れられず、結局、奥羽列藩同盟への加盟を決め、新政府軍と戦うことになり、揚句、長岡は焦土になる。
 今日、長岡駅を降り立つと、そこは徳川譜代の名門牧野氏の居城長岡城本丸跡であると知る。つまり、明治政府は城跡に駅を敷設させたため、長岡城の遺構は失われ影も形もない。
 継之助は何も得るところもない戦いに、長岡藩士のすべてを投入して敗れ、長岡は壊滅的な打撃を蒙り、おまけに継之助本人は中途戦死して、後世への功績などというものはあとかたもない、思想と行動の矛盾した人物とみる皮相な見方もあろう。

 等身大の継之助を描きたい、と言う秋山は、「これまでにない難しい時代がやってくる。長岡の士なら牧野家に仕えることだ。だから俺は長岡を守る。それは俺が士だからだ」と覚悟し、長岡藩を富ますべく、松山藩儒学者山田方谷の下、藩政改革の極意を学ぶ継之助をまずクローズアップさせる。結果的に継之助は長岡藩を護れず、彼自身も滅んでしまうが。
 戊辰戦争の勃発に際して、継之助が戦そのものを「正当なる理由なき戦いは私闘なり」と看破し、恭順の道と主戦の道を睨みつけ、「恭順の先に待つものは何か。薩長への隷属を強いられた上で、大義なき戦の先鋒にさせられる未来だ。そうまでして生きのびて誇りを持って進めるか」と語るシーンはまさに核心である。
 歴史上の人物を描く際、どの視点から描くか、関係した人物の誰を中心として描くかで、その人物像が変わってくるのは否めない。司馬遼太郎の『峠』が福沢諭吉や福地源一郎という幕臣を継之助の重要な局面で登場させているに対し、本書『龍が哭く』では、仙台藩士の細谷十太夫や会津藩士の秋月悌次郎が大きな役割を果たしている。細谷十太夫は仙台藩の偵察方(隠密)であったが、衝撃隊を組織し、白河から仙台までの戦場を神出鬼没に現れては新政府軍を翻弄し、「からす組」と恐れられた。本書では、とりわけ、十太夫は継之助の盟友として活躍させている。これが作家秋山の創作であるかどうかは知らないが、局地戦としての北越戦争を全体的な東北戊辰戦争の中に位置づけるに寄与している。

 人生には運命の出会いがあれば、運命の別れもある。長崎で出会った上野彦馬(日本における写真術の開祖のひとり)や松本良順(医学所頭取、初代の陸軍軍医総監)、また、出会いこそなかったが小栗上野介忠順や西郷隆盛など、維新前夜の日本のさまざまな人物の輪郭と軌跡が透明感あふれる筆致で描かれている。
「大戯けか、英雄か」夫の真実が知りたいと思う継之助の妻すが子の生きざまや、山田方谷との”師弟愛”が描かれているのも本書の読みどころであるが、河井は常に河井であり続けた継之助がいる。
 そしてなにより、動乱の時代の錯綜した精神の中にあって、「幕府は滅びるなどとしたり顔で申すより、最後の一手まであがき、未来を我らで変えよう」と首尾一貫して天命に挑み続けるべく生きた河井継之助の像がいい。これぞ、等身大の人間像であろう。
 今年度上半期を飾る佳品である。
       (平成29年6月6日)

書評『おもちゃ絵芳藤』

書名 『おもちゃ絵芳藤』
著者名 谷津矢車
発売  文藝春秋
発行年月日 2017年4月20日
定価    1650EN

 

おもちゃ絵芳藤

おもちゃ絵芳藤

 

 
 かつて浮世絵研究家の林美一は「明治維新を境に、殆ど潰滅に瀕した江戸浮世絵師の門派にあって、ひとり国芳のみ今もなお、高弟一魁斎芳年より、水野年方、鏑木清方伊東深水と画系は脈々として現代に至る」と述べたものだが(『艶本研究 國芳』1964年刊)、「武者絵の国芳」で一世を風靡した奇才の絵師・歌川国芳知名度や評価は歌麿写楽北斎・広重の四大絵師に比べると、必ずしも高いとは言えず、国芳が「幕末の奇想の絵師」として注目され、再評価されるようになるのはつい最近、20世紀後半になってからである。
 歌川芳藤って誰? 芳藤の師匠の国芳でさえこのようであったから、芳藤のことを知っている方はよほどの通である。本書は芳藤を主人公として幕末から明治初年までの浮世絵界を描いた歴史時代小説である。
 芳藤には「玩具絵の芳藤」の忌名がある。玩具絵とは子供を客に見込んだもので名前の通り玩具という側面が強い低俗なもので、名のある浮世絵師のなす仕事ではないとみなされた。おのれの描く絵には華がない、つまり人気絵師、一流絵師という名声からは程遠いと己の立ち位置を知る絵師で、才能がないという残酷な現実にたちむかう芳藤が活写されている。

 巨星、国芳墜つ――物語は文久元年(1861)3月5日にはじまる。
 この年、開国騒ぎ、異国人の無斬り捨て騒動、和宮降嫁などの事件があり、国芳の死は一つの時代の終わりを世間に強く意識させたらしいが、弟子にとっては激震と呼ぶにふさわしい変化であった。
 晩年の国芳は「国芳塾を残したい」と言っていたという。国芳塾は日本橋和泉町にあった国芳が開いていた画塾で、国芳門下の絵師は皆、ここで学び巣立っていった。誰一人として受けようとしなかったあの塾を引き受け国芳の二女お吉を巻き込み引き受け、16年頑張り続けてついにクローズまでがストーリーの主線になっている。

 本書には、明治以降、活躍した国芳の弟子たち――歌川芳藤、月岡芳年河鍋暁斎、落合芳幾――が愛憎こもごも魅力たっぷりに登場する。
 幕末の血みどろ絵で名高く、明治期の新聞挿絵の草分け的な存在の月岡芳年は、精神に異常をきたし、病没した(1892)と伝わる。慶応4年の上野戦争で、絵師としての好奇心からあの地獄と見間違うばかりの寛永寺の戦場を駆け巡り、スケッチしたためといわれるが、本書では国芳の長女登(と)鯉(り)に恋い焦がれ、初恋の女の面影を己の絵の世界に引き込む画境にいたるまでの苦悶もつづられる。
 河鍋暁斎(狂斎)は幕末から明治にかけて狂画の名手として鳴らした奇人異才、天性の画家。幼年の頃国芳門下生となりながら国芳一門を離れ狩野派絵師に入門し直したことから「俺は狩野派最後の絵師」の自負を持った絵師だが、もともとは旗本の子弟である。お雇い外国人のコンドルは暁斎の弟子として「暁英」の雅号を持つ。
 落合芳幾(幾次郎)は芳年とともに「悲惨絵」なる絵の一分類を創った絵師だが、天才絵師らしからぬ商売っ気の持主で、明治5年(1872)『東京日日新聞』を創刊した開化人。生活に困窮する兄弟子の芳藤を新聞挿絵の書き手として新聞社への入社を誘う人情家でもある。
 小林清親暁斎の弟子で国芳には孫弟子にあたる。西洋画のような浮世絵である光線画で有名で「最後の浮世絵師」とも言われた。
 絵師は絵師としてしか生きられない。ある者は御一新の混乱に巻き込まれ、ある者は絵師として食い詰めて、一人一人と消えていくのだが、わたしが登場人物の中でもっとも愛したいのは歌川芳(よし)艶(つや)である。
 芳藤の兄弟子の中でも出世頭の芳艶はやくざ者とつるむ。申し開きもさせずに国芳は離縁状を送る。国芳の死後、絵に描いたように落ちぶれて塾に戻ってきた芳艶を「にいさん」と呼んで迎える。「華がないなあ、お前の絵は」と芳艶。
 死期を悟った芳艶は「お前は俺のようになるなよ、一生書き続けろよ。最後の最後まで絵師でいさせてくんな」とも。この「にいさん」という言葉の響きが何とも言えない。
 
 芳藤の恋女房お清。これがまた泣けるほどのいい女。世間で全く認められていない旦那の仕事を「わたしはあんたの絵が好きだよ」と褒めてくれる女房で、貧乏生活をものともしない。お清と芳艶の二人に逢えただけでも、読者は本書を読んだ甲斐があろう。
「江戸から東京へ」。政治史は遠慮会釈もなく明確すぎるほどの線引きをするが、谷津矢車の描く歴史時代小説をひもとくと、あの時代を生きた芳藤は「名門歌川国芳一門の芳藤」の矜持を持ち、政治史的な区分とは無関係に生ある限りの生を生き抜いたことがわかる。
「この世はあの世までの旅みたいなもの」とのフレーズにしめされる若い作家の死生観にも震える。今年度上半期の収穫のひとつである。

(平成29年6月5日  雨宮由希夫 記)