歴史時代作家クラブ公式ブログ

現在活躍中の歴史時代作家が多数所属する文学団体です。時代文庫活性化を目指し、各社から出ている時代小説文庫等の紹介もします。初めにこちらをお読みください。→http://rekishijidaisakkaclub.hatenablog.com/entry/2014/08/01/105546

文芸評論家日乗 2018年パリ旅行番外編 ジヴェルニー日帰り

 2日目は、「モネの家」(モネが晩年を過ごしたアトリエ兼庭園)があるジヴェルニーに行きました。
 パリからジヴェルニーの最寄り駅ヴェルノンまでは約1時間。ヴェルノンからジヴェルニーまではシャトルバスで約20分。ジヴェルニーはパリから少し離れた別荘地で、東京からの距離感や文人が移り住んだことを踏まえれば、鎌倉のような感じでしょうか。

 ヴェルノン行きの列車に乗るため、サン・ラザール駅へ向かいます。

●ヨーロッパの鉄道は、原則的に早く予約すればするほど安く買えます。自分でチケットを手配する場合は、予定が決まったらすぐに購入することをお勧めします。今回は日本で2社のチケットを購入しましたが、英語のサイトがあるので中学程度の英語能力があれば、JRのサイトでチケットを買うのと手順は変わりません。

●ヨーロッパの鉄道は、出発のホームが固定されていないので、掲示板で確認する必要があります。そのため、30分以上前に駅に到着しておいた方が無難です(この直前になるまで列車がどのホームに到着するか分からないことが、後に思わぬ悲劇を招くのですが、その話は後ほど)。

●駅のホームまで改札なしで行ける駅が多いので、どんどん進んでください。列車に乗る時や車内で検札があるのですが、ヴェルノン駅への往復は一度も検札がなかったので、どうやってキセルを防止しているのか不明です。

 サン・ラザール駅は、モネの連作でも有名です。シャトルバスの出発時間にあわせるため7時52分発の列車に乗りました。特に問題なくヴェルノン駅に到着。地面に足跡のペイントがあり、それをたどるとジヴェルニー行きのシャトルバス乗り場に着きます。運転手さんに現金を払って往復のチケットを買います。9時15分に出発。農場と牧場ばかりの田舎道をしばらく走ったら、ジヴェルニーに到着です。
 バス停から「モネの家」までは徒歩で10分弱くらい。「モネの家」はものすごく観光客が多いと聞いていたのですが、列車もバスもすいていたので、それほどでもないのかな、と思っていましたが、朝イチで到着したにもかかわらず、チケット売り場には行列が。私たちは優先入口が使える前売チケットを買っていたのですが、優先入口の場所が分からず、少し探してしまいました。優先入口は、ツアーなどの団体客入口と同じで、チケット売り場からバス停への道を戻った最初の道を曲がった先にありました。写真のグリーンの扉のところを曲がります。

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 そこから無事に「モネの家」に入ったのですが、既にすごい人混み。モネの自宅兼アトリエは、入れる人数が決まっているようで、係の人が数人ずつ入れています。幸いにも数分で中に入ることができました。

【写真3-2】

 入場規制をしているためか、家の中はそれほど混み合っておらず、所狭しと飾られた浮世絵もゆっくり鑑賞できました。二階の窓からの庭園の眺めはさすがに美しかったです。このブログでは、これから訪れる方の興を削がないため、内部や展示された美術品の写真は載せない方針ですが、「モネの家」では妻が最も食いついていたキッチンの写真を紹介しておきます。

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●ヨーロッパは、フラッシュを使用しなければ写真撮影可の美術館、博物館が多いです。

 「モネの家」を出て少し庭園を散策し、モネが睡蓮の絵を描いた有名な池に向かいました。池には浮世絵をモデルに作られた太鼓橋があり、周囲にはモネが植えたという竹林があります。睡蓮がきれいな季節だったのもよかったです。

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 池に面した撮影スポットで、観光客が途絶えることがありませんでした。

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 12時頃に「モネの家」を出ましたが、当日用のチケット売り場には長蛇の列が。それを後にして、近くにある印象派美術館へ行きました。大混雑の「モネの家」とは異なり、こちらはさほど人が多くありません。ただ展示内容はよく、順路をたどると印象派へ至る歴史、印象派が後世に影響を与えた技法などが概観できるようになっていました。パリを中心に「ジャポニスム2018」という複合イベントが開催されていましたが、その一環なのか、印象派美術館では平松礼二の企画展が行われていました。

 その後、モネの墓がある教会へ行きましたが、こちらはさらに人が少なかったです。

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 「モネの家」から印象派美術館、教会へは一本道で行けるのですが、その通りにはレストランが並んでいたので、ランチを食べることができます。モネと友人たちが通った有名なホテル&レストランもあるようです。私たちは混みあったレストランでの食事を避け、14時頃にヴェルノンに戻りました。

 せっかくなのでヴェルノンも観光しようということになり、街を散策。目についたパン屋に入り、とても明るい女性店員からパンとセットの飲み物を買い、ライン川沿いのベンチで遅めのランチにしました。横には観光名所の一つ、川の上に建つ家がありました。

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 ヴェルノンは、セーヌ川の舟運の中継地として栄えた町なので、立派なタウンホールと教会があります。写真は教会です。

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 木造を使った独特な家が立ち並ぶ町並みも美しかったです。

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 ヴェルノンは城塞都市で、塔の一部が公園の中に残されていました。

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 町の散策を終えて駅に帰り、1時間ほど列車の到着を待ちました。ロの字型のベンチに座っていたら、左側に座っていた小学生くらいの女子がフランス語訳の岸本斉史NARUTO』を読んでいて、正面に座っていた大学生くらいの青年はひたすらNintendo Switchをやっていました。モネが浮世絵の影響を受けたのは有名ですが、その地元で日本文化に興じる若者を見たことで、その伝統は今も続いているのかも、といったことを考えていました。

 帰りの列車は混み合っているうえにエアコンが効かず、ものすごく熱かったです。地元の人が怒っていたので、かなり環境が悪かったのだと思います。

●ジヴェルニー行きのオプショナルツアーは多いので、事前にチケットなどを手配するのが面倒なら、それを使うと楽になります。ただ9時30分までにジヴェルニーに到着するツアーでないと、「モネの家」に入るのに時間を取られる可能性が高いです。早起きして、できるだけ早くジヴェルニーに着くツアーをお勧めします。

大河ドラマウォッチ「西郷どん」 第38回 傷だらけの維新

 今週も軽くツッコんでいこうと思います。
 上野の彰義隊は壊滅させることができました。しかし会津をはじめとする東北各地の諸藩は抵抗を試みています。
 軍議の席で大村益次郎(林家正蔵)は、兵も金も兵糧も武器も足りないと言い出します。西郷に薩摩からそれらを出すように要求します。西郷はそれを引き受けます。
 西郷は援軍を編成するため、薩摩に戻ります。
 西郷は久々に家に帰ってきました。ここも戦のように大変だったという話を聞きます。遠い親戚や古い友と名乗る人々が訪ねてきたのだそうです。西郷の名に傷がつかないよう、家を守る吉次郎は、金を渡して帰したのだそうです。したのだそうです。
 西郷は薩摩の城に上がり、久光に会います。大村からの要求を理解した久光は渋い顔をします。西郷はいいます。
「薩摩の忠義と底力を、必ずや天下にお見せできるでありましょう」
 相変わらず久光だけは転がすのがうまいな、西郷は。久光は承諾し、すべてを西郷に任せます。
 家に帰ってきた西郷は、吉次郎から、戦に連れて行ってくれと頼まれます。自分も戦働きがしたいというのです。共に参れ、と西郷は承諾します。
 吉次郎や信吾は、西郷に先駆けて越後に出発します。
 吉次郎が薩摩を発って数日後、長岡での苦戦が伝えられます。西郷に来てくれるようにと要請がされます。
 越後に到着した西郷のもとには、長岡だけでなく、東北各地からの援軍依頼がやってきました。軍議が開かれます。そこへ信吾が駆け込んできます。吉次郎が撃たれたことを伝えます。
「兵の命は皆同じじゃ。弟だろうが誰じゃろうが、これだけ命をかけているもんがおるとじゃ」
 西郷はそう言いますが、動揺を隠しきれません。西郷は軍議を続けます。
 西田敏行のナレーションによって、北越戦争が激戦の末、終結したことが語られます。
 西郷は越後の陣を訪れ、兵たちに声をかけて回ります。そこには吉次郎もいたのです。西郷は吉次郎を抱き起こします。
「侍働きができて、うれしかった」
 という吉次郎。吉次郎は西郷の腕の中で息を引き取ります。
 そして西田敏行のナレーション。
「この後も会津、庄内、そして函館と、戊辰の戦はつづきました。そんな中、日本は明治へと新しく生まれ変わり、大久保一三を始め、岩倉や桂、そして西郷吉之助といった面々による、明治政府が動き出そうとしていました」
 えーっ、マジかよ。飛ばしすぎだろう、中園ミホ。大胆というか何というか。会津の戦いも函館戦も省略かよ。読んだ西田敏行もきっとびっくりだよ。
 江戸城は東京城と改められ、明治天皇の新しい住まいとなりました。
 そして西郷と大久保はテーブルを挟んで向かい合います。西郷は切り出します。
「おいは薩摩に帰らせてもらいたか」
 再び、えーっ。めまいのするようなすごい省略。ミホよ、そうきたか。
 大久保は西郷が席を立った後、笑い出します。どうかしたのかとおもったら、そのあとテーブルたたいて怒りをあらわにします。そりゃそうだろう。
 西郷は薩摩の自分の家に帰ってきます。家の者に吉次郎のことを聞かれます。西郷は吉次郎の妻、その、に遺髪を渡します。
「すまん。死なせてしもうた」
 西郷の妻、糸は、西郷に吉次郎の残したものを見せます。それは帳面と瓶に入った銭でした。吉次郎は西郷がまた何かを思いついたときのために、小銭を少しづつ貯めていたのです。帳面を見ると、それは家計簿でした。家の金銭の出入りが細かく記されていました。ここで西郷は吉次郎のために初めて慟哭するのです。
 中園ミホの大胆さに驚かされた今週でした。

大河ドラマウォッチ「西郷どん」 第37回 江戸無血開城

ご無沙汰しました。今日に備え、念のためビデオ二台に録画しましたので、録り損じることはありませんでした。
 今週も軽くツッコんでいこうと思います。
 江戸城総攻撃の日が迫る中、西郷は密かに江戸城に案内され、天璋院(北川景子)と会います。天璋院は言います。
慶喜殿の首ひとつで、この戦を終わらせてくれ」
 そして徳川家だけは救って欲しい、と頼みます。しかし西郷は
「この戦を止めることはできもはん」
 と答えます。慶喜を討ち果たし、完膚なきまでに徳川を打ち砕かねばならないといいます。
 今度は西郷は勝海舟と会います。江戸城総攻撃予定日の前日です。
 勝は江戸を攻撃するのをやめてもらいたいと言います。そのための条件を提示します。徳川は降伏し、慶喜は水戸に謹慎。江戸城及び軍艦、鉄砲、弾薬も新政府に渡す。勝は言います。
「江戸百万の民に、塗炭の苦しみをなめさせてつくる国に、この先どんな望みがあるって言うんだ」
「民」という言葉に西郷の心は動かされます。部下に言います。
「明日の総攻撃は取りやめじゃ」
 えーっ、江戸の民は大事でほかはいいの? 鳥羽伏見は? さらに言えば会津は? 西郷は田舎もんを軽んじているのか。
 西郷は密かに、上の寛永寺に謹慎している慶喜に会いに行きます。慶喜は死に装束で待っていました。
「今度こそその脇差しで俺を刺しに来たんだろう」
 と慶喜は言います。西郷は聞きます。なぜ戦わずに逃げたのか。
「俺はロッシュ殿から逃げたのだ」
 慶喜は説明します。いざとなればフランスが援助をする。12万の精鋭と、銃を5万挺を直ちに遣わす。そのかわり、勝利した暁には薩摩をよこせ、と言ってきている。さらに慶喜は言います。薩摩は取引をしているイギリスを巻き込む。イギリス軍がやってきて、日本の中でフランスとイギリスが戦い、勝った方が日本を乗っ取る。
 西郷は感銘を受けます。
「よくぞ逃げて日本をお守りいただきました」
 こうして西郷は慶喜も許してしまうのです。
 江戸城は新政府に明け渡されます。そして西郷は再び天璋院に会います。
「そなたが勝ったのです」
 天璋院は言います。そして西郷に礼を言います。
 見せたいものがある、と天璋院は言います。書物が持ってこられました。それは徳川の記録でした。これらが国を治める役に立つこともありましょう。西郷は感激します。
 部下たちが西郷を探します。西郷はなかなか見つかりません。
「たいへんじゃあ」
 と一人が叫びます。西郷が倒れているのが発見されます。西郷は書物をもらった場所で寝ていたのです。弟の信吾が言います。ようやく眠れたんじゃ。
「おやっとさん」
 声をかけて信吾たちは引き上げていきます。
 西田敏行のナレーションはいいます。
「こうして後の世に言う、江戸無血開城は終わったのです」
 しかし新たな争乱が起きようとしていました。上野には新政府に不満を持つものたちが集まっていました。彼らは彰義隊と名乗りました。
 彰義隊との戦いは苦戦が予想されました。そこへ一人の男が乗り込んできました。こぶ平、いや長州の大村益次郎(林家正蔵)でした。上野の戦は半日で片付くというのです。
 西郷は勝とそば屋の二階で話していました。死んじゃいけねえよ、と勝は言います。
「龍馬が夢見た、新しい国をつくってくれ」
 今宵は、ここらでよかろうかい。

 

書評『将軍家の妖刀 小言又兵衛 天下無敵2』

書名『将軍家の妖刀 小言又兵衛 天下無敵2』
作者: 飯島一次
出版社: 二見書房
発売日: 2018/09/26
定価 700円税込

 

www.kinokuniya.co.jp

 

 今年6月にスタートしたシリーズ『小言又兵衛 天下無敵』の第2弾である。
 小言(こごと)又兵衛(またべえ)こと石倉(いしくら)又兵衛(またべえ)は11年前までは御書院番士、つまり将軍直属の親衛隊士だったが、宝暦6年(1756)の今は隠居の身である。又兵衛がシリーズの主人公だが、本作の〈影の主人公〉というべきは「第1章 帰ってきた男」の作之助(さくのすけ)である。
 日本橋本町の酒屋・近江屋作(おうみやさく)兵衛(べえ)の倅である作之助は、酒と女に溺れて遊び呆け、満足に商売を覚えようともしない道楽息子であった。父の命により、上方に修業に出かけていた作之助は、今、8年ぶりに江戸に戻って来る。そこで作之助は父作兵衛が2年前に死去し、番頭であった徳(とく)三(ぞう)が作兵衛を称し近江屋の主に納まっていることを知る。生家を訪ねた正真正銘の「近江屋のもと若旦那」の作之助は近江屋を乗っ取った徳三に偽物扱いされ叩き出されてしまう。 どうして父は亡くなったのか、父親の死に疑問をもった作之助は父の敵を討とうとする。

 ここまでなら、老舗の跡継ぎたる若者が酒と女で身を過って勘当されるという、よくある「哀れな放蕩息子の話」にすぎないが、事件は小言又兵衛がからむことで意外な進展を遂げるのである。
 仇討ちの助太刀をすることを嬉々として心待ちにしていた又兵衛は、近江屋の〈お家騒動〉を知り意気込むが、先代が河豚にあたって死んだとあっては、仇討ちの助太刀にはならないと、肩透かしを食らったように落ち込む。
 一方、又兵衛のもう一つの楽しみが、市井の芝居見物であった。何をやっても退屈で大あくびの日々が続くある日のこと、無聊をかこいつつ、芝居を見に出かけると、その芝居見物の桟敷で隣り合ったのがなんと、将軍家お世継ぎの大納言・家(いえ)治(はる)卿(20歳。2年後の宝暦8年に10代将軍となる)であり、その連れはあろうことか又兵衛の娘婿の源之丞であった。
 芝居見物の帰路、正体不明の一味が家治の帰途を襲う。又兵衛は家治から託された名刀を振るって敵を撃退する。武芸百般の強者である又兵衛だが、将軍家拝領刀が又兵衛の技量を超越した威力を発揮し瞬く間に賊を両断してしまったというのが真実に近い。まさしく〈将軍家の妖刀〉である。

 話戻って、作之助の父・先代の近江屋は、上方の下り酒に代わるべく、江戸で安くて旨い酒を造ろうとした進取の酒屋だった。将軍家重の御用取次・田沼(たぬま)意(おき)次(つぐ)はそうした新興の近江屋を後押しした。前巻に引き継き、田沼の登場を観る。実在の人物の登場は時代小説を虚構の世界からより現実の世界へと誘う効力がある。
 方や、京橋の山城屋(やましろや)清(せい)兵衛(べえ)ら上方に本店を持つ酒屋は江戸での大掛かりな酒造りを阻止すべく動いた。若旦那の作之助を道楽者にして上方に追いやり、女をあてがいたらしこみ江戸に戻らないようにして、近江屋乗っ取りを画策した張本人が清兵衛なら、酒屋の寄り合いでフグを食べさせ作兵衛を亡き者にしたのも清兵衛である。かつ、家治暗殺を計画し、不逞浪士をかき集め襲撃させたのも清兵衛で、最初から何もかも山城屋清兵衛が仕組んだことであった。
 田沼意次は将軍世継ぎが城を抜け出し、夜遊びをしていることばかりか、襲撃事件がおきていることを知り、驚愕する。何者かが次期将軍の命をねらい、幕府の体制を揺るがそうとしているのは確かであるとみなした意次は、家治警護の役目を又兵衛に申し付ける。
 山城屋の背後には、京の公家・大納言朱雀小路経雅がいた。「西の大納言」こと経雅らの一味は、お世継ぎさえ倒せば、失政を理由に将軍家重を罷免し、尊王の志篤い田安宗武(家重の実弟)を新将軍に擁立できると目論んでいる。
 最終章に至り、山城屋の「跡継ぎ」作之助の仇討ちと、将軍家の「跡継ぎ」家治の暗殺事件という全く次元を異にする事件が合体する。それらふたつの危機に謹厳実直な武辺者又兵衛がただ一人で立ち向かい、悪を叩き切る。
 これらの事件を契機として、家重、家治二代にわたって信任厚い田沼意次は出世街道を昇りつめていくことになる。それはまた歴史の事実と符合する。単なる商家の〈御家騒動>の背景に、幕府が江戸の特産品作りを奨励したこと、宝暦事件(宝暦8年、幕府が皇権回復を説く朝廷内の尊王論者を弾圧した事件)の予兆があったことなどが織り込まれている。
 なんと見事な構図ではないか。時代小説の名手・飯島一次の歴史の真実への目配りも確かなもので、恐れ入るばかりの造形力と言わねばならない。テンポのよい文章もさることながら、このストーリーテラーの妙なる造形に、魅了された。早くも続巻がたのしみである!
                 (平成30年10月11日 雨宮由希夫 記)

文芸評論家日乗 2018年パリ旅行(2)

 ルイ・ヴィトン財団美術館の後は、今回の目的の一つ、マルモッタン・モネ美術館ヘ向かいました。徒歩30分ほどの道のりをのんびり歩いて行ったのですが、ブローニュの森はサイクリング・コースになっているのか、自転車のチームが何組も走っていました。マルモッタン・モネ美術館は世界最大のモネのコレクションを有し、貴族の館を改装した建物も見たいと考えていました。が、残念ながら休館。外観だけを撮影して帰りました。

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 そこからメトロで、トロカデロ庭園に向かいました。ここはエッフェル塔をのぞむ絶好の観光スポットになっていて、全世界から集まったものすごい観光客がいます。

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私たち夫婦もエッフェル塔を前に記念撮影をしましたが、目的は庭園内に建つ双翼のシャイヨ宮の片側ほぼ全部を占める人類博物館です。この博物館は、人類の進化、人体の仕組み、様々な人種とその生活洋式や文化などが総合的に展示されていました。
 シャイヨ宮は、1878年のパリ万博の時に建てられたパビリオンです。19世紀の欧米は植民地獲得競争の激化でアジア、アフリカに勢力を拡大し、またダーウィンの進化論の浸透もあって、西洋の文化を頂点とし、まだ西洋のレベルに達していないアジア、アフリカ諸国の文化を劣ったものとして序列化していました。そのため19世紀の欧米では、白人以外の異民族を見世物にする人間動物園が人気を集め、1878年のパリ万博でも黒人が展示されています。アジアでいち早く近代化した日本も、1903年に大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会で、アイヌ、台湾高砂族沖縄県人、大韓帝国、清国、インド、ジャワなど民族衣装を着た32名を展示するパビリオン「学術人類館」を設置したため、沖縄県と清国が抗議し大問題になった「人類館事件」を起こしています。学問の歴史と発展のプロセスを概観するため19世紀的な人類学の成果も展示してあった人類博物館を見学して、学問、研究は一歩間違うと差別を助長する状況を作り出しかねない現実が実感できました。個人的に興味深かったのは、統計によって人種の特徴を探ろうとした時代に作られた頭蓋骨の測定器。イタリアの精神科医で人類学者のロンブローゾは、こうした測定器で処刑された囚人の骨を計測し、犯罪者には特定の身体的、精神的な特徴があるとの説を導き出しました。この「生来的犯罪人説」は、夢野久作ドグラ・マグラ』や小栗虫太郎黒死館殺人事件』など戦前の探偵小説でも紹介されていますが、現在では科学的な根拠がないと否定されています。ロンブローゾの学説も、非常に差別的なものといえます。

 人類博物館を出て、トロカデロ庭園を散策しました。中央部に大きな人工の泉水があるのですが、そこで大勢の人が水着で水浴びをしているのに驚きました。
 イエナ橋を渡り、エッフェル塔が建つシャン・ド・マルス公園へ。この辺りは観光客であふれていて、ラッシュ時のターミナル駅を思わせるほど混雑しています。公園を突っ切ってメトロの駅へ向かい、そこからホテルに帰りました。

 今回は短期の滞在だったので、ホテルやカフェなどで使えるFreeWi-Fiだけで大丈夫だと思っていたのですが、やはり街中でネットが使えないと不便だと分かり、現地のプリペイドSIMを買うことにしました。選んだのは昨年と同じFree mobile。店がマドレーヌ寺院の近くにあるので、ホテルから歩いて行きました。購入したのは、19ユーロ99セント(+SIMの代金10ユーロ)で、1カ月100ギガ(+無料通話付き)使えるSIMです。自動販売機でSIMを購入し、普段使っているSIMフリーiPhoneに差し換え、PINを入力すればすぐに開通します。ちなみに4日間の滞在中、iPhoneルーター代わりにしてiPad2台を常時接続していましたが、通信量は15ギガくらいでした。昨年はメトロに乗ると3G回線になっていましたが、今年は4Gで繋がる範囲が増えたような気がします。

プリペイドSIMは1カ月で自動的に使用不可になりますが、昨年は、なぜか自動解約にならず(おそらく諸事情で日本にかけまくった国際電話で無料通話分を使い切ったため、翌月以降に代金を請求する必要があると判断されたからと考えています)、書面で解約手続きを取りました。ネットではFree mobileは解約が難しいとの声もありますが、最初に送られてくるメールに添付されたPDFファイルの末尾に解約用の書面があるので、それに必要事項を書き込むだけです。日本の携帯会社も、書面の郵送で解約手続きを行うところもあるので、それほど面倒とは思いませんでした。なお、今年は無事に1カ月で自動解約となりました。

 ネット環境を手に入れた後は、夕食と翌日の朝食の買い出しにモノプリへ行きました。モノプリは高級スーパーで、日本でいえば成城石井といった感じでしょうか。そこでサラダ、サンドイッチ、ビール、ミネラルウォーターなどを購入してホテルへ帰還。1日目が終わりました。

●パリは物価が高いです。駅の自動販売機で500ミリのペットボトルのジュースを買うと2ユーロくらい。観光地の売店では、もっと高いこともあります。スーパーの割引品だと、1.5リットルのペットボトルが1ユーロ以下で買えることがあるので、それを買って街歩きの時に持ち歩くと経済的です。モノプリで買ったのも、1.5リットルで99セントの炭酸入りミネラルウオーターでした。

文芸評論家日乗 2018年パリ旅行(1)

 世間ではお盆休みが終わった頃、昨年に続きパリに行ってきました。そこで現地で様々なトラブルを経験した立場から、実用的なガイドを書いてみたいと思います。

●ヨーロッパはキャッシュレスが進んでいて、地元の人はスーパーマーケットはもちろん、自動販売機やマルシェ(朝市)の屋台でもクレジットカードを使っています。そのためカードがあれば不自由しません。ただし現地で使えるのはICチップ内蔵で暗証番号を設定したカードだけで、磁気でサインのみのカードが使えるところは少ないようです。

●少しは現金を持っていきたい方は、20ユーロ以下の紙幣に交換してください。昨年は紙幣の枚数を減らそうと50ユーロ、100ユーロも持っていったのですが、使える店が限られていて苦労しました。

 さて出発当日は19時頃まで所用があり、自宅についたのは20時頃。それから羽田へ行き、22時55分発のエールフランスでパリに向かいました。シャルル・ド・ゴール空港に4時30分着の予定だったのですが、早く到着して4時30には入国審査を終え、あずけた荷物も受け取っていました。早朝の到着だったのでパリ市内に出るまで時間をつぶすため、エールフランスの到着ラウンジを使えるようにしておきました。
 ラウンジが開くのが5時30分なので、1時間ほどベンチで休んで中に入りました。軽食や仮眠用のベッド、シャワールームも完備の快適な空間でした。妻は仮眠を取っていましたが、私は機内でゆっくり寝たので、ミネラルウォーターを飲みながら原稿を書いていました。

 9時過ぎにラウンジを出て、ロワシーバスでパリ市内に向かいました。所要時間は60分くらい。今回は観光の利便性を考えて、チュイルリー公園に面したホテルを予約しました。ロワシーバスの停留所はオペラ座の近くにあるので、ホテルまではメトロに乗る必要があります。パリのメトロは、切符を入れると自動ドアが開く新しい改札と、金属製のバーを押して入る古いタイプが混在していますが、大きなスーツケースだとバーに引っかかり入りにくいです。昨年はオペラ座近くのホテルに泊まったので気付かなかったのですが、スーツケースを持ったままメトロで移動する時は注意が必要です。

●滞在するホテルが最寄りのバス停、メトロの駅から遠い場合は、空港からタクシーを使った方が便利かもしれません。空港からパリ市内までは50ユーロの固定料金ですが、白タクも多いので中止が必要です。

 ホテルにチェックインして、ルイ・ヴィトン財団美術館へ向かいました。
 メトロの1号線で行ったのですが、車内でスリへの注意をうながすなどのアナウンスが、英語、日本語、中国語などで流れたのには驚きました。1号線の駅名も多言語表記になっていて、日本語もありました。日本語でアナウンスを聞いたのは1号線だけですが、ほかの路線でもフランス語と英語で次の駅名を告げるアナウンスが流れたことがありました。昨年は車内アナウンスそのものを聞いた記憶がない(途中で電車が止まって事情説明のアナウンスはありましたが、フランス語だけで聞き取れませんでした。ただまわりの乗客が落ち着いていたので大したことはないだろうと判断。実際、数分後には動き出していました)ので、メトロはものすごく観光客にやさしくなった感じです。ロワシーバスを降りてメトロのオペラ駅で切符を買おうと思っていたら、ボランティアかアルバイトが分かりませんが若い女の子が声を掛けてきてくれて、最寄り駅までの行き方を教えてくれました。これも昨年はなかったことです。

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 ルイ・ヴィトン財団美術館はブローニュの森の中にあるのですが、大きな公園を歩いていたら突然、巨大な人工的な建築物が現れた感じでインパクトがあります。ここはパリの中心地から少し離れた現代アートの美術館なので、あまり観光客は見かけませんでした。建築家のフランク・ゲーリーが手掛けた“ザ・現代建築”とでもいえる建物を見にいくだけでも価値がありますし、複雑な構造の美術館の中を歩いても楽しいと思います。美術館では、ピエール・ユイグの短篇映画『ヒューマン・マスク』(2014年)が上演されていました。この作品は、能面のようなマスクをつけた猿が無人に居酒屋で給仕をしているのですが、終盤には無人の居酒屋が福島原発の事故で人間が消えた町にあることが示されるという内容です。妻は日本人を差別的に描いていると憤慨していましたが、私はさほど差別的な内容とは思いませんでした。
 ミュージアムショップで売っているオリジナル・グッズには、ルイ・ヴィトン・ブランドの文具もあったので、ルイ・ヴィトンのファンは要チェックです。

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●パリ市内の大きな施設(美術館、博物館、デパートなど)に入る時は、セキュリティチェックがあります。荷物をX線検査のレーンに乗せて、持ち主は金属探知器のゲートをくぐる空港並に厳重なものから、ガードマンが手荷物を目視で確認する簡易的なものまで様々なので、列に並んだ時、X線検査ならバッグを締める、目視の検査なら開けておくなど事前に準備をしておいた方がスムーズに進めます。人気のスポットではセキュリティチェックで思わぬ時間を取られることがあるので、余裕を持って行った方がいいです。ちなみにルイ・ヴィトン財団美術館のセキュリティチェックは、かなり厳重でした。

すみません!

どうしたことか、「西郷どんがビデオに録画されていませんでした。先週の台風でなにか機械の録画状況がおかしくなったのか。毎週録画にしておいたはずが、今日は8時55分から録画になっており、とにかくおかしなことになっていました。
本当に申し訳ありません。今回の「西郷どんは来週の土曜日に再放送をやるので、それから書くと言うことでよろしいでしょうか。もちろん日曜日の分も続けて書くつもりです。

宜しくお願い致します!