歴史時代作家クラブ公式ブログ

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書評『龍になった女――北条政子の真実――』

書   名 『龍になった女 ――北条政子の真実――』
著   者  高瀬千図
発   売  ワイズネット
発行年月日  2015年12月1日

龍になった女―北条政子の真実―

龍になった女―北条政子の真実―

 
龍になった女―北条政子の真実―

龍になった女―北条政子の真実―

 
 

 北条政子については、両極端の観かたがある。「北条時政の娘として生まれ、源頼朝の妻として、鎌倉幕府の成立と発展に尽くし、頼朝亡き後の鎌倉幕府の命運を一身に担って活躍し『尼将軍』の異名をとったほどの屈指の政治家」とするものと、「異常なまでの嫉妬心と独占欲を持った野心家であり、浮気性で恐妻家の頼朝を悩ます『悪妻』の典型で、自分の地位を脅かすものは、それがたとえ血を分けた息子であっても、容赦しない食わせ者の父や弟たちに乗ぜられ、子供らをも自滅させ、ついには婚家を滅ぼすという大ヘマをしでかした『悪女』」とする観かたである。  

 頼朝との結婚、頼朝の挙兵は時代の必然であったのか?
 頼朝の流人生活を伝える歴史史料はきわめて乏しい。歴史の真実に迫れるのは人間観察力と創造性に秀でた歴史小説のみである。『龍になった女 ――北条政子の真実――』の高瀬千図は政子とその時代をいかに描くのか。

 頼朝との結婚、頼朝の挙兵に介在していたであろうさまざまな人間関係を見落とした必然論などには意味がない。頼朝との結婚は家出同然の駆け落ちで、政子は身の危険をも顧みず、飛び出して、流人の胸に飛び込んだのは事実らしい。恋一筋に生きようとする女に打算はなかった。本書の作家もそう解釈している。一方の頼朝に打算はなかっただろうか。
 政子は伊豆の小豪族北条氏の娘であった。頼朝は伊豆蛭ケ小島に流された流人であるが「貴種」であり、「源氏」の再興の主ともなりうる人物であることの政治性を政子は熟知していたのか否か。また、平家全盛の時代に、流人を婿とすることの意味を政子の父・時政はどのように理解していたのか。

 ここに、文覚という稀代の怪僧が登場する。文覚は高尾神護寺の復興を決意し、承安3年(1173)後白河法皇の御所に押しかけ、荘園の寄進などを強訴した罪で伊豆奈古屋(静岡県韮山町)に遠流となった人物である。『平家物語』によれば、文覚は蛭ケ小島に頼朝を訪ね、平治の乱で無念の死を遂げた父・義朝の髑髏を頼朝に示し、悔しかったら謀反を起こせと扇動し、ついに頼朝も挙兵するに至ったと物語られる。本書『龍になった女』では、文覚はどう描かれているか。全編を通じて、政子と頼朝との縁を繋ぎ、政子を支える人物として文覚が存在感豊かに描かれていることは見逃せない。

 そもそも、頼朝にとっての政子はどのような存在であったか。本書では、頼朝の妻になって源氏の棟梁たるの「貴種」の意味の重大性を政子は初めて知ったとされる。一方、政子は頼朝の度重なる浮気に衝撃を受ける。頼朝の本性はとびぬけた好色漢であったというわけではないかもしれない。根底には夫婦というものに対する考え方、東国と都の結婚観の違いがあり、異なる価値観、埋めがたいギャップがあったと想像できる。本書では、頼朝と政子を結び付けた文覚は悩んでいる政子に心からの忠告を授ける。

 文覚とともに、本書において重要な役割を演じるのは、第2代執権として鎌倉幕府をリードすることになる政子の弟・北条義時である。作家は「義時にとって子どものころから政子だけが気を許すことのできる唯一の話し相手であった」と姉弟の睦まじい間柄を造形している。
 悩める政子に対して、その義時は坂東武者の母になれと言い、文覚は人間の女を捨てて龍になれと言う。しかし、政子には、御家人衆のため、領民のため、子らのために生き、女を捨てると決心しても、心の奥底には夫への執着があり、いつしか夫に対して心を閉ざしてしまう。心を閉ざす以外、政子には頼朝とともに生きてゆく手立てがなかった、と造形される。

 人物造形でいえば、義経の造形が出色である。
 義経は「ただ勝てばよいだけの汚い戦いを続けた」とし、「勝利に酔った義経の眼は異様な輝を帯び、目の前に討ち取った何百という首級を並べて喜々として祝杯を上げた」と勝利した後の義経の専横なふるまいを活写し、「人として品位に欠ける」まで酷評されている。判官びいきの大方の日本人との心性とはいささか距離があるが、それだけに鮮烈である。
 義高と大姫の悲劇と静の舞に関わる史実について、作家が政子の恋愛に対する考え方を反映させていることも見逃せない。
 木曽義仲の子である義高は義仲の関東進出の野望撤回のあかしとして、頼朝の娘大姫の婿にするとの口実で人質とされ、義仲が打ち滅ぼされた直後、死罪にされた。義高は単なる人質にすぎず、娘を政治の道具としてしか見ていない頼朝に対し、「なんと非情なことを……。貴方は人の心を失っておしまいになったのですか」と大きな衝撃を受けた政子が頼朝に詰め寄るシーンがある。大姫の一件は、家庭と政治に関する政子と頼朝の対立を最も端的に表している。
 義経と静の子が抹殺されるに及んで、政子は「人非人とはあなたのこと」と口にこそ出さないが、夫への怒りをたぎらせている。しかし、頼朝の態度が揺らぐことなく、作家は頼朝に「世間は私を血の通わない冷血漢だと噂するだろう」と言わしめている。 
 平家一族が相睦まじく生きたに対し、源氏一族は歴代、骨肉の相剋を繰り返している。源氏の血の伝統のしからしむるところなのかもしれないが、先祖は一つの同姓の者たちである同族は生かしておいて危険であるという頼朝の判断は異常というべきか。源氏の「貴種」は頼朝やその後継者に代わって、鎌倉殿になりうる資格を有する。ゆえに、頼朝の兄弟がついには皆滅ぼされてしまった。源氏嫡流の血は武士団のシンボルとしてのみ意味があるが、頼朝も義経も彼ら個人が、財産として何一つ持っているわけではない。しかもシンボルは必ず一つでなければならなかった。まして、朝廷と独自に結び、頼朝に並び立つような存在があってはならない。そこに気づかず、義経は頼朝と同じ血をもつことに自負を抱いて疑わなかった。すでにしてそこに義経の悲劇が生じた。本書では、義経に自重を促す政子を描いている。

 頼朝の死。頼朝を失って、政子は「今やこの国の土台そのものが軋みながら再びくずれようとしているか」に思う。頼朝の危惧していた通り、御家人衆の有力者たちは強く自己を主張し始めており、将軍権力の削減に向かっていた。危機的状況に陥った政子に向かって、「政子殿。今こそ龍になられよ。この国の母となられよ」との文覚の声が虚空より響き渡る。のちに尼将軍ともいわれた政子の実力は、実朝が暗殺され源氏が滅んだのちに発揮されたと考えがちだが、決してそうではなく、その力は頼朝の死の直後から行使されたとみるべきであり、作家は文覚の声にそれを代弁させている。
 頼朝死後の鎌倉幕府の体制はじつに政子によって保たれていたといってよく、政子の主導権によって、頼家の排除、頼家から実朝への将軍職移譲が図られた。
 そして、実朝暗殺。実朝の右大臣拝賀の日、実朝の甥公暁により実朝が殺害されたのである。かくして政子は夫・頼朝が鎌倉幕府を担うものと期待したであろう愛する我が子二人と実の孫のすべてを失うことになった。

 実朝暗殺については政子の信頼する弟・義時が黒幕であったという説もある。多くの歴史的事件がそうであるように、真相は藪の中にある。本書では誰が黒幕であるかについて言及せず、事後処理を速やかに行うよう義時に指示する政子が描かれている。

 物語の最終章での義時の回想が印象的である。義時は政子若かりし頃の情熱的な逃避行を思い浮かべ、「すべては姉上が頼朝公を恋い慕い、山木の屋敷を逃げ出して伊豆山まで行かれた、そこから始まったことではありませんか。姉上のじゃじゃ馬ぶりからすべては始まったのです」と政子に語りかける。
 もし政子が伊東祐親の娘のような内気な女だったとしたら、必然的に頼朝自身の運命まで大きく狂い、誇張して言えば、鎌倉幕府も成立しなかったかもしれない。恋の逃避行から承久の乱の演説まで、政子はそうせざるを得ない人生を歩んだが、それで良かったとするのか、後悔するのか、選択の良しあしは本当のところはわからないが、恋する女として、妻として、母としての政子自身の人生としては、あるがままに、最善を尽くして生きたのだと思える。
            (平成28年4月10日  雨宮由希夫 記)