歴史時代作家クラブ公式ブログ

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書評『おもちゃ絵芳藤』

書名 『おもちゃ絵芳藤』
著者名 谷津矢車
発売  文藝春秋
発行年月日 2017年4月20日
定価    1650EN

 

おもちゃ絵芳藤

おもちゃ絵芳藤

 

 
 かつて浮世絵研究家の林美一は「明治維新を境に、殆ど潰滅に瀕した江戸浮世絵師の門派にあって、ひとり国芳のみ今もなお、高弟一魁斎芳年より、水野年方、鏑木清方伊東深水と画系は脈々として現代に至る」と述べたものだが(『艶本研究 國芳』1964年刊)、「武者絵の国芳」で一世を風靡した奇才の絵師・歌川国芳知名度や評価は歌麿写楽北斎・広重の四大絵師に比べると、必ずしも高いとは言えず、国芳が「幕末の奇想の絵師」として注目され、再評価されるようになるのはつい最近、20世紀後半になってからである。
 歌川芳藤って誰? 芳藤の師匠の国芳でさえこのようであったから、芳藤のことを知っている方はよほどの通である。本書は芳藤を主人公として幕末から明治初年までの浮世絵界を描いた歴史時代小説である。
 芳藤には「玩具絵の芳藤」の忌名がある。玩具絵とは子供を客に見込んだもので名前の通り玩具という側面が強い低俗なもので、名のある浮世絵師のなす仕事ではないとみなされた。おのれの描く絵には華がない、つまり人気絵師、一流絵師という名声からは程遠いと己の立ち位置を知る絵師で、才能がないという残酷な現実にたちむかう芳藤が活写されている。

 巨星、国芳墜つ――物語は文久元年(1861)3月5日にはじまる。
 この年、開国騒ぎ、異国人の無斬り捨て騒動、和宮降嫁などの事件があり、国芳の死は一つの時代の終わりを世間に強く意識させたらしいが、弟子にとっては激震と呼ぶにふさわしい変化であった。
 晩年の国芳は「国芳塾を残したい」と言っていたという。国芳塾は日本橋和泉町にあった国芳が開いていた画塾で、国芳門下の絵師は皆、ここで学び巣立っていった。誰一人として受けようとしなかったあの塾を引き受け国芳の二女お吉を巻き込み引き受け、16年頑張り続けてついにクローズまでがストーリーの主線になっている。

 本書には、明治以降、活躍した国芳の弟子たち――歌川芳藤、月岡芳年河鍋暁斎、落合芳幾――が愛憎こもごも魅力たっぷりに登場する。
 幕末の血みどろ絵で名高く、明治期の新聞挿絵の草分け的な存在の月岡芳年は、精神に異常をきたし、病没した(1892)と伝わる。慶応4年の上野戦争で、絵師としての好奇心からあの地獄と見間違うばかりの寛永寺の戦場を駆け巡り、スケッチしたためといわれるが、本書では国芳の長女登(と)鯉(り)に恋い焦がれ、初恋の女の面影を己の絵の世界に引き込む画境にいたるまでの苦悶もつづられる。
 河鍋暁斎(狂斎)は幕末から明治にかけて狂画の名手として鳴らした奇人異才、天性の画家。幼年の頃国芳門下生となりながら国芳一門を離れ狩野派絵師に入門し直したことから「俺は狩野派最後の絵師」の自負を持った絵師だが、もともとは旗本の子弟である。お雇い外国人のコンドルは暁斎の弟子として「暁英」の雅号を持つ。
 落合芳幾(幾次郎)は芳年とともに「悲惨絵」なる絵の一分類を創った絵師だが、天才絵師らしからぬ商売っ気の持主で、明治5年(1872)『東京日日新聞』を創刊した開化人。生活に困窮する兄弟子の芳藤を新聞挿絵の書き手として新聞社への入社を誘う人情家でもある。
 小林清親暁斎の弟子で国芳には孫弟子にあたる。西洋画のような浮世絵である光線画で有名で「最後の浮世絵師」とも言われた。
 絵師は絵師としてしか生きられない。ある者は御一新の混乱に巻き込まれ、ある者は絵師として食い詰めて、一人一人と消えていくのだが、わたしが登場人物の中でもっとも愛したいのは歌川芳(よし)艶(つや)である。
 芳藤の兄弟子の中でも出世頭の芳艶はやくざ者とつるむ。申し開きもさせずに国芳は離縁状を送る。国芳の死後、絵に描いたように落ちぶれて塾に戻ってきた芳艶を「にいさん」と呼んで迎える。「華がないなあ、お前の絵は」と芳艶。
 死期を悟った芳艶は「お前は俺のようになるなよ、一生書き続けろよ。最後の最後まで絵師でいさせてくんな」とも。この「にいさん」という言葉の響きが何とも言えない。
 
 芳藤の恋女房お清。これがまた泣けるほどのいい女。世間で全く認められていない旦那の仕事を「わたしはあんたの絵が好きだよ」と褒めてくれる女房で、貧乏生活をものともしない。お清と芳艶の二人に逢えただけでも、読者は本書を読んだ甲斐があろう。
「江戸から東京へ」。政治史は遠慮会釈もなく明確すぎるほどの線引きをするが、谷津矢車の描く歴史時代小説をひもとくと、あの時代を生きた芳藤は「名門歌川国芳一門の芳藤」の矜持を持ち、政治史的な区分とは無関係に生ある限りの生を生き抜いたことがわかる。
「この世はあの世までの旅みたいなもの」とのフレーズにしめされる若い作家の死生観にも震える。今年度上半期の収穫のひとつである。

(平成29年6月5日  雨宮由希夫 記)